色街写真家としての活動のきっかけ

――ここまで波乱万丈な人生を歩んでこられましたが、その後は?

紅子:離婚後に双子の妹のすすめでキリスト教の教会へ通いはじめました。妹は19歳の頃に、統一教会に入信してしまって……、脱会を助けてくれたのがキリスト教の牧師さんでした。

教会へ行くと、みんなが子どもと遊んでくれてとても良い環境で育てることができましたが、教会でもシングルマザーということから差別や偏見もあり、10年ほど通いましたが今は離れてしましました。

――お子さんがが成長したことで、ひとりの時間がができてきたんですね。

紅子:最初は気になる場所をスマホで撮影していました。スナックや路地裏や風俗街などを日々撮り歩き、それをインスタグラムに1日一回投稿することを決めたんです。投稿するときに、その場所の歴史を調べていたら、そこがかつて赤線や遊郭の跡地であることがわかってきました。

――色街で働いていたときは、そういった歴史に興味はあったんでしょうか?

紅子:そんな余裕はなかったし、今のようにネットもなかったので歴史を知ることは残念ながらありませんでした。40代後半でこのまま人生が終わるのかな……そんな思いから何か生きた証を残したいという思いが湧いてきたんです。本格的に記録をするために、48歳で使い方もよくわからない一眼レフカメラを買い、撮影する日々が始まりました。

――YouTubeチャンネル「紅子の色街探訪記」を始めたキッカケは?

紅子:映画監督の出馬康成さんとの出会いがきっかけでした。私のインスタグラムなどの投稿を見て「写真が良いね」と言ってもらえたんです。「写真を紹介するYouTubeを始めたら、きっと見てくれる人がいる」って勧めてくれました。ちょうどその頃、役に立つかもわからない動画編集やデザインなどを独学で勉強していたんです。でも、まさか自分がYouTubeを始めるとは夢にも思っていませんでしたね。

――経歴を公表して、顔出しもすることにに迷いはなかったのでしょうか?

紅子:YouTubeはすべてが手探りでした。自分か被写体になることにも違和感を感じながら試行錯誤で始めました。遊郭跡地の撮影についてはできる限り、地元の方のお話を伺うようにしています。ですが、風俗街での撮影が多いことから難しいことも多々あります。

――地道な活動が実を結んで、51歳で初めての写真集『紅子の色街探訪記』を昨年12月に出版されました。すごく世界観がしっかりした一冊ですね。

紅子:性風俗という閉ざされた歴史に「文化」という、ささやかな光を灯し後世に残し伝えたい。このような思いから全国の色街を撮り歩いています。「負の遺産」とされる遊郭の跡地を、どのように伝えるかいつも考えています。

――地方都市には、かつて栄えた色街が残っていますよね。

紅子:行きたい場所はまだまだあります。今度は高知の玉水を撮影したいですね。カフェー建築はタイルや色ガラスなど大変美しく、女性からも人気がありますが、私はその土地で生きた人の営みを写真に刻み込みたいと思っています。

▲紅子さんが撮影した京都府八幡市橋本「旅館 橋本の香(旧三枡楼)」

実体験しているからこそ伝えたい色街文化

――経歴から誹謗中傷されたり、ご家族との関係にヒビが入ることはなかったのでしょうか?

紅子:YouTubeを始めたばかりの頃、コメントの半分くらいは否定的なものでしたね。当時は風俗経験を赤裸々に話していたんです。だから「そんな経歴公表して、これからどうやって生きていくの?」と言う感じのコメントが多かったです。

シングルマザーであることも公表したら、同性からも「子どもがかわいそう」みたいなコメントが来ました。それでも、批判以上に好意的なコメントをもらえるようになってきました。「あなたは表現として伝えているんですね」といったコメントや、自分以上に自分のことを理解してくれる方がたくさんいて、そのことが大きな励みとなっています。

――お子さんは、紅子さんの活動をご存じなんでしょうか?

紅子:私から直接言ったことはありません。でも、気づいても言わない性格の息子なので、家にも色街に関わる本がありますから、いずれは知るときが来るだろうし、もう知っているかもしれません。干渉しすぎない親子関係ですが、料理研究科のリュウジさんの動画が好きで、ご飯も毎日作ってくれるんですよ。

▲文化として消えつつある色街を記録した写真集

――波乱の人生を経て、写真集も出版。アーティストとして活動をされていますが、どんな人生観を持てるようになりましたか?

紅子:性風俗という世界で生きてきたことをずっと後悔してきました。どうやって生きていいかわからず、たどり着いた場所が吉原という街です。そんな人生を後悔したまま終わらせたくない。だから今、私は風俗街を歩き、その歴史を伝えています。レンズを通して見えてきたものは儚くも美しい世界でした。

――色街文化の伝道者・理解者として、これからも活躍が続きそうですね。

紅子:ありがとうございます。今後も地道に撮影を続けていきます。

(取材:大宮 高史)


<イベント情報>
大阪で初の写真展 紅子の色街探訪記「出版記念写真展」
2024年3月8日(金)~17日(日) 12:00 - 19:00 ※最終日18:00
大阪市中央区淡路町2-5-8船場ビルディング 314号室 / B120号室
Gallery 螺

トークイベント 「紅子の色街探訪記 ~色街の記録、物語~」
2024年3月11日(月) 大阪・梅田 Lateral(ラテラル)
OPEN / 18:30 START / 19:00
詳細:https://lateral-osaka.com/schedule/2024-03-11-11324/
プロフィール
 
紅子(べにこ)
1972年生まれ。高校中退後、美術学校に通うかたわら、学費を稼ぐために19歳で風俗店に勤め、吉原のソープランドでも勤務。32歳でソープ嬢を引退後、シングルマザーとして生計を立てる。40代後半より全国の色街を巡ってインスタグラムで写真を投稿。赤線・遊郭を撮影してきた写真集を出版し、写真展も開催。2021年からはYouTube「紅子の色街探訪記」で動画投稿を始める。2023年には写真集『紅子の色街探訪記』を出版。X(旧Twitter):@benicoirmachi、Instagram:@beniko.iromachi、YouTube:紅子の色街探訪記