会社を辞めてから取得した国家資格

子どもの頃は書くことを仕事にしたいと思っていた彼女だったが、大学を卒業してから現在の仕事に就くまで、実際にはどのような仕事に就いてきたのだろうか。

「最初は、三重県の四日市市にあるケーブルテレビのディレクターになりました。ミーハーなところもあって、ずっとやってみたかったんです。うまくいけば、書く仕事にもつなげられるんじゃないかとも思って。小説家でもライターでも、最初はそれで生活できるわけじゃないと思っていたので、まずはディレクターになってみようと」

地域のニュースやドキュメンタリーを中心に、カメラを回し、編集をし、ディレクター業を全うしていたという。特にドキュメンタリーを作るのが好きで、自主制作番組コンクールなどを目標にして、実際に賞を取ったこともあったようだ。しかし、4年ほど働くうちに、先輩がどんどん出世し、現場を離れていくのをみて“自分もいずれこうなるのなら”と思って辞めたと語る。

「組織内での昇格とかに興味がなかったんです。本当に好きなら自分でやるよなって。結局、YouTubeでもなんでも好きなものを自分で作って発信できる時代が来ましたよね。だから、あのとき決断して間違っていなかったと思います」

そのあとは、好きなことを好きなようにできるよう、食いっぱぐれることがないような資格を取るための奮闘が始まったと話す。彼女が選んだ作業療法士は、学校に通い、病院で実習をし、レポートを書き、国家試験を受け、合格して初めて取得できる資格だ。

「会社を辞めてから、作業療法士の資格を取りました。私の母が看護師なんですけど、“こんな仕事があるよ”と教えてくれて。学校に3年間も通わないと取れない資格だったんですけど、入り直しました。でも、実際にどういう仕事かは、3年経たないとわかんなかったですね。リハビリの仕事とは聞いていたんですけど、それだけじゃなかったし。

食いっぱぐれるのはイヤだったので、それなりにきちんとした固定収入が欲しかった。これくらいの資格を取っとけば……って感じです。それから3年くらいは、作業療法士として働きました

さまざまな経験を経て、現在の立ち位置を獲得した彼女。ケーブルテレビで働いたり、学校に通ったりしているあいだも、パチンコに足を運んでいたと思いきや……。

「じつは、大学卒業から結婚までの10年くらい、パチンコは休んでました。大学を卒業した頃にCR機が始まって、ホールにおける羽根モノの割合が減っていくんです。私の求めてたパチンコじゃなくなってしまった。それに加えて使えるお金が限られてしまっていたので、財布が追いつかなくなって……それでちゃんとやめられました」

▲その頃は私の求めていたパチンコじゃなくなってしまったんですよね

結婚して再びパチンコを打ち始める

あれほどのめり込んだパチンコも、働かざるを得ない、通学せざるを得ない状況でやめることができた。あらゆる経験をして現在の職業であるパチンコライターとなった彼女に、人生の転機を聞いてみた。

「転機はいくつかありますね。まずは、結婚を機にそれまでやめていたパチンコを始めたこと。作業療法士の学校に行って、今の旦那さんと出会ったんです。作業療法士の資格を得たことよりも、旦那と出会ったことのほうが大きかったんじゃないかな。

年齢はだいぶ違うんですけど、旦那とは使っちゃいけないお金を使ってパチンコをしていた……っていう思い出を共有できたんですよ。二人とも同じような経験があって(笑)。“懐かしいね〜”って、二人とも羽根モノしか打ったことがないんですけど、“最近もあるのかな? 見に行ってみようか!”って。そこから行き始めて復活しました」

パチンコに理解があり、思い出を共有できる旦那がいなかったら、パチンコライターとしての彼女はいなかっただろう。ただ、趣味でパチンコを打つ人と、仕事としてのパチンコライターは、まったく別だとは思うが、どんな経緯で趣味の範疇を超えたのだろうか。

「予備校生や大学生のときは、勝ち方を考えて打ってなかったので負けっぱなしだったんですよ。結婚後に始めたときは、攻略本を買ってみたり、オカルト的なことも書いてある雑誌を買ってみたり、妹の職場にいた“コンピュータープログラムに詳しい”って人に話を聞きに行ったり、いろんなことをして、どうやったら勝てるかを考えました。あっ、コンピュータープログラムの話はさっぱりわかんなかったです(笑)。

ある日、『パチンコ・パチスロTV』っていうCSのパチンコ専門チャンネルを見ていたら、正攻法のパチンコ攻略を教えていたんです。攻略雑誌のパチプロがボーダー理論というものを語っていて。それまで勝てるか勝てないかを判断する基準が曖昧でしたが、本でボーダー理論を学んだら、パチンコの仕組みを理解できるようになったんです」

そのときに、デジパチは“へその部分”に玉が入った瞬間に当たるか外れるか、すでに決まっているということを理解する。演出でドキドキさせられているあのときに抽選していると思いがちだが、盛り上げるためのインストが行われているだけなのだ。

「ええええ! そうだったの?! みたいな(笑)。パチプロっていう人たちが本当にいて、本当に勝っているかって疑っていたですけど……マネしたら、あっという間に勝てるようになったんです。そこからはもう、一生減らない宝箱を見つけたような感じでした。その喜びとともに、またパチンコにのめり込むことになるんですけど(笑)」

転機について、もうひとつエピソードを話してくれた。

「以前にも本を出す話があったんです。当時、名古屋にいたパチプロ仲間に、同じように周辺文化に興味をもっている人がいたんです。その人から“共同で本を出してみないか?”って言われたんですよ。今回の本につながるような、パチンコの周辺文化に関する本だったんですけど、結局は出せませんでした。当時の原稿を見てみると“これじゃダメだな”って思うような内容なので、出なかったのも納得なんですけど」