すがやの地元のスター・木暮郁哉さん

『人生で対戦したなかで一番スゴかった選手は誰?』

この質問は、僕がとても好きな質問で、強豪校出身者やJリーガーからエピソードを聞いては、そのリアルな体感に心を震わせています。

これだけでコラム3本書けるくらい、いろいろな選手からお話を聞きました。

地元でだいたい名前が上がるのが、僕のひとつ上の代で三菱養和SCからアルビレックス新潟に入団し、その後、アジアのクラブを渡り歩いた木暮郁哉選手。

小学校の頃から長髪をたなびかせエレガントなプレーをする姿は、子どもながらに「ああ、モノが違うなぁ」と思ったものです。

本当にめちゃくちゃ細かった小暮さん。プロ1年目は確か登録情報だと身長176cmに対し体重55キロくらいだったと記憶していますが、それでも誰も触れないし、触れたとしても細いのにしなやかな強さがあったのを覚えています。

小暮さんが完封されたのを初めて見たのは、ルーキーイヤー18歳のプロデビュー戦。細貝萌選手にバチンバチンに止められていて、日本は広いなぁと思った記憶があります。

こんな話を他県出身者にすると、関東圏の強豪校出身者は「木暮郁哉!! あれはやばかった!! なにがすごかったかというと……」と饒舌に語りだし、ハイボールが進みます。皆さんもぜひ、開幕前の酒のアテにしてもらえたら幸いです。

僕の世代で、その流れで名前が出るのは『新座のヒキマ』『養和のシナダ』『レイソルの比嘉』あたりですかねぇ。同世代で上のレベルでサッカーをしていたような、すごく狭い層の人の脳の記憶域をつつくような天才と呼ばれた子どもたち。

『養和のシナダ』は僕と地元が近く、初めて一緒にプレーした『世代別代表レベルの選手』です。同い年のスターで、小学校6年のときに両足でキックオフゴールを決めていたシナダ。選抜チームで一緒だったときに

「みんながシナダにボールを集めすぎちゃうから、すがやのドリブルで運んでこい」

という指示を監督から受けてピッチに入ったのですが、シナダに

「すがや! へいっ!」

と名前を呼ばれたのがうれしくて、ファーストタッチから3プレー連続で、すぐさまシナダにボールを預けたのは良い思い出です。

▲うまい選手にはボールが集まる イメージ: 稲垣 一志 / PIXTA

先輩が語ったジーコジャパンのあの選手

大学の2個上にケイゴさんという先輩がいました。

ケイゴさんは帝京高校で1年生からレギュラーでインターハイの優秀選手、J1の名門の練習にも参加していた、いわゆるプロ注目の選手でしたが、やる気がなかったのでうちの大学に来ました。

ダルそうにしているのに、どんな相手も止めるし、強豪相手になると「しゃあねぇ、ちょっと指示出すか」って感じで、守備の要ぶりを発揮するのがカッコよかったのです。

ケイゴさんは気まぐれな性格もあり、なぜか僕を嫌いではなかったようで、夏休みには車で僕の最寄り駅から一緒に練習場の行き来をしてくれました。

そんなケイゴさんに、大学サッカー界で有名な選手を「あの選手どうやって止めてんですか?」と聞くと、いっつも返事は一緒。

「あんなのチョロンだよ」

……ケイゴさんは感覚派なのです。

高校時代にマッチアップしたという、のちに代表となった選手の話を聞いても

「あいつは速ぇからなぁ。あいつは斜めからチョロンだ」

後輩たちはそんなケイゴさんが好きで「あの選手、どうやって止めるんですか?」とチョロンを聞きによく質問していました。

そんなケイゴさんが唯一「あれはチョロンじゃねぇな」(訳:あれは止められない)と言っていた選手がいました。

ケイゴさんが高1のとき、代表戦前のサブ組の調整ということで試合したというジーコジャパンの

「三浦淳宏はやばいぞ。キックキャラだと思うじゃん。めちゃくちゃ速ぇんだよ。あれはチョロンじゃなかったわ」

まぁ、高1でフル代表とやったらそりゃそうだろ、という感じですが、いつも不敵なケイゴさんが初めて「手も足も出ない」と喋っていたのが、今も印象に残っています。