10年経てば医学の常識も変わることが多い

コレステロールは細胞膜の主原料で、人間が生きていくためには欠かせないものです。よく「悪玉」「善玉」と呼んで区分することがありますが、どちらも人間にとって重要な働きをしていることに変わりはありません。

けれども、循環器の医者から見ればLDLコレステロール、つまり「悪玉」が増えすぎると血管壁に入り込んで動脈硬化の原因になるとされます。

ところが免疫学者に言わせれば、コレステロールは免疫細胞の材料になるから、コレステロール値が高い人のほうが免疫力が高いとなります。あるいは、コレステロールは脳にセロトニンを運ぶ働きもあるとされますから、数値が高い人ほどうつになりにくいという報告もあります。

さらには老年医学の立場から見れば、コレステロール値の高い人のほうが男性ホルモンが多いため、齢を取っても活性が高いといった研究もあります。「コレステロール値が多少高いほうが病気も少なく、長生きできる」と主張する医者だっているのです。

つまり「こっちにとっては悪くても、あっちにとっては良いこと」というのは、しばしば起こり得るのです。しかし、いくらこういうデータを並べても、循環器の医者が自分の狭い立場にこだわる限り、「そっちには良くても、こっちには悪いこと」となります。

健診で数値に異常が見つかれば、それを正常に戻すことだけ考えますから、相変わらず薬と食事制限を申し渡すでしょう。

ちなみに2015年には、コレステロールを「悪玉」視していた厚生労働省も摂取制限を撤廃しました。卵や肉などいくら食べても大丈夫ということになりました。10年もたてば医学常識が変わることなど、いくらでもあるのです。

▲10年経てば医学の常識も変わることが多い イメージ:horiphoto / PIXTA

健康かどうかは自分が決めればいい

それでは、どうすればいいのでしょうか。とても簡単なことで、少しぐらい数値が高めでも、今が元気ならそれでいい、というのが私の考えです。

体の不調や異常を感じるならともかく、自分が元気で快活だと思えるなら、わざわざ薬を飲んで数値を下げたり、食べたいものを我慢して不満やストレスを感じるより、健康的に生きていくことができます。

実際、肉好きの人が大好きな焼肉を食べて満腹し、「やっぱり美味いな」と思えば自分が元気なことを確認できます。「今日も元気だ、肉が美味い!」という気分になります。幸福感さえ生まれてきます。食欲があって食べ物がおいしい、自分が元気なことを実感できて幸せになる。これで何か問題があるでしょうか。

50代に限らず、毎日の暮らしに幸福感も張り合いもなく、ただ用心しながら生きているだけなら、行動力もどんどん弱まっていくでしょう。もちろん、理想は数値も正常で食べたいものを思う存分食べ、行動力も失わずに生きていくことですが、数値が少しぐらい高くても心の元気さえ失わなければアクティブに生きていけますから、体の元気も保つことができます。

あるいは対人関係です。「仲間と会えば焼き鳥や唐揚げでビールになる。脂っこいものは医者に禁じられているから、やっぱり出かけるのは止めておこう」。そう考えてブレーキをかけてしまうのはよくあることで、それによって友人たちや仲間とも疎遠になっていきます。つまり、交友関係も寂しくなってしまうのです。

専門領域の数値だけを重視する健診に振り回されて、ささやかな幸福感すら失ってしまったら好きなこともできなくなるし、自由だって束縛されてしまうというのが私の考えです。

WHO(世界保健機関)の「健康」の定義はこうなります。「健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態であることをいいます」(公益社団法人日本WHO協会・訳)。私もこの定義には同感します。

▲健康かどうかは自分が決めればいい イメージ:8x10 / PIXTA

検査の結果が正常というのは、ただ単にフィジカルが満たされたというだけで、それによってメンタルとソーシャルが満たされなくなったら健康とは言えないからです。

つまり、自分が健康かどうかは主観的であっていいし、自分が決めればいいことなのです。