みんなで団結して寄席で勝つしかないんですよ
――塙さんは東洋館で初めて舞台に立った日のことを覚えていますか?
塙 最初に舞台に立ったのは2002年。正直、なんのネタをやったのかとかは全く覚えてないです。当時の持ち時間は15分だったんですよ。だから、5分ネタみたいなのを3本ぐらいやったっていうのは覚えてますけど。お客さんが5~6人とかで本当に少なくて、誰も聞いてないとこでやった、というのは覚えてます。
――映画では“漫才協会とは?”ということを、とても丁寧に説明なさっていますよね。小泉今日子さんと相方の土屋さんのナレーションを入れて、初心者にもわかりやすいようにという配慮が感じられました。
塙 最初、思いっきり振り切って「企業のPR動画みたいにしようか」って案もあったんです。“漫才協会とは〜”というのを説明するみたいな。やっぱり協会のことを知ってほしい、入ってきてほしいという気持ちもあるので、そこは丁寧にやったというか。今の漫才協会の若手に向けて、我々の業界や歴史ってこうなんだっていうのを、ちゃんと紹介したいなと思ったんです。
――芸人の世界は縦社会なイメージがありますが、これまで、そういうことを若手に伝える機会はなかったんですか?
塙 知らなくてもいいことですからね。興味があるヤツは自分で調べるんでしょうけど、わざわざ飲んでるときに「漫才協会の初代会長はリーガル万吉※」なんてことは言ったりしないですよね。
僕も別に興味なかったけど、だんだん歳を重ねてきて少し興味が出てきた。たぶん、今の若い子は、M-1グランプリから、どうやったらテレビに出られるかみたいな考えしかないわけですから、歴史を学ぶなんて余裕はないんじゃないですかね。
※リーガル千太・万吉 1955年(昭和30年)漫才研究会(現 漫才協会)を旗揚げした。
――塙さんがスカウトしたおかげで、漫才協会の層が厚くなっていますね。かつて一緒に自主イベントをやってたメンバーはほとんど入っています。
塙 マシンガンズとかハマカーン、エルシャラカーニとかね。漫才業界のためっていうのはもちろんありますし、将来的にあの人たちがみんな(東洋館の)舞台に出てくれたら楽しいなって。
――漫才協会をどういう団体にしていきたいと思っているんですか?
塙 結局、“反骨精神”ですよ、吉本興業さんに対しての。あまりにも東京芸人がテレビに出れてない現状があるじゃないですか。だから、もうこっちはみんなで団結して、寄席で勝つしかないっていう思いがあります。
例えば、吉本さんには劇場があって、お客さんもいっぱい入って、スタッフさんがちゃんといて、チケットも自分で売らなくていい。舗装された道――それこそダウンタウンさんとか、先輩たちが切り開いてきた道を歩んでいるわけです。
一方、漫才協会の強みは、今、システムを作ってる最中の面白さですかね。自分でわけわかんないライブを主催してやる苦労って、なかなかできないことですから。でも、その苦労をしてきた結果、錦鯉とかウエストランドとかがM-1で優勝してるわけです。そういう人たちは、やっぱり人間味がある。モグライダーとかもそうですけど、いろいろ苦労してきた人のほうが面白くなりやすいじゃないですか。
――芸に深みが出ますよね。
塙 うん。それが漫才協会の芸人の強みなのかもしれないですね。1回売れてテレビに出て、そのあと落ちて……みたいな人も多いですからね。でも、それなりにみんな生き延びている。
青空一歩・三歩師匠だって、NHKの漫才コンクールで優勝してるわけですから、昔で言うとM-1で優勝してるみたいなもんなんです。でも、街にいる人に聞いたら、たぶん1人も知らないでしょ。そういう知られざる実力派がたくさんいるところが強みですね。
(取材:美馬 亜貴子)
〇映画『漫才協会 THE MOVIE 〜舞台の上の懲りない面々~』