本明秀文という人物を皆さんは知っているだろうか。スニーカーブームの黎明期にあたる96年、裏原宿にわずか2.7坪の並行輸入店「チャプター(CHAPTER)」を開店し、翌年にはテクストトレーディングカンパニーを設立。スニーカーショップの雄「アトモス」を世界的に有名にした経営者であり、現在は、スニーカー業界から勇退し、おにぎり屋を営むという異色の経歴を持つ。
先日、スニーカーブームから経済を読み解く新刊『スニーカー学 atmos創設者が振り返るシーンの栄枯盛衰』(KADOKAWA)を上梓した彼に、人生の土壇場についてインタビューした。本明秀文のビジネスに対する熱い思いが聞くことができた。きっとビジネスを成功させるヒントが隠されているはずだ。都内某所、取材するために我々が席に着くと、彼はすぐに口を開いた。
“お、やばいな”みたいな状況が面白いタイミング
「人生の土壇場って、いろいろあると思いますけど、やっぱり自分は商売をやっているから、資金繰りとかそういった話をするのが面白いんじゃないかなって思うんですよ」
正直、人生の遍歴を順に追って聞こうと思っていた手前、その提案に少し驚いたが、これまでビジネスマンとして幾多の局面に立った彼の内から出てくる経験談は、確かに興味深い。ここは彼に身を任せてみようと、そのまま話を聞いていくことにした。彼が言うに、ビジネスをやるうえでは、毎日が土壇場ということだ。
「商売なんて簡単にできる、みたいなことを言う人がいますけど、そんなことはなくて。結局、僕たちの商売は、売って買って売って買っての繰り返し。毎日が資金繰りとの戦いなわけです」
本明といえば、スニーカーブームの黎明期にあたる96年、裏原宿にわずか2.7坪の並行輸入店「チャプター(CHAPTER)」を開店。その後、大学留学先のアメリカで培ったツテとサラリーマン時代に磨いた輸入テクニックを生かして、日本未発売のスニーカーを次々と輸入し、翌年、テクストトレーディングカンパニーを設立。
その後、2000年には正規店として「アトモス」をオープンすると、ブランドとの大型コラボや独自イベントを仕掛け、一躍世界的なスニーカーショップへと成長させた実力者だが、やはりそこには苦労があったようだ。
「自分は靴屋を25年くらいやってきて、“派手に売った人”と思われているでしょ? でも実際は、派手に売っているように見えて、基本的には資金繰りを毎日のように考えて、綱渡りしてやっていたんですよ。いつもお金が潤沢にあるわけじゃないし、どちらかと言うと、僕がやっていた商売は、昔の商売というか。物を仕入れて、それを売る。
そうすると、在庫はあるけどお金がないということもザラ。逆に良いものがあるのに、それが買えないことだってある。それで儲けを逃すことだってあるわけです。月末になれば、店舗の家賃や人件費も払うわけですから、資金のことは常に考えている」
毎日が資金繰り、毎日が土壇場。そのなかで彼を突き動かしていたのは、商売の楽しさ。彼は、競馬や競艇などのギャンブルには全く興味はないが、商売をしているときにギャンブルのようなドキドキを感じることがあるという。
「“お、やばいな”みたいな状況が、自分にとっては麻薬になっていると思う。うまくいったときに感じる、あの一瞬だけ気持ちがスーってする感覚。それが商売をやっていて一番面白いタイミング」
人生とは解決方法を探すこと
毎日がギャンブルという状況で成功を収めてきた本明。気になるのは彼が幼少期どんな夢を抱いていたということ。ここまでのキャリアを掴んだ彼は、何になりたいと考えていたのだろうか。
「僕には弟がいたんです。その弟が僕が5歳半ぐらいで亡くなってしまった。今でも覚えてるのは、うちの弟は世の中に出られたのが3回しかないんです。生まれてちょっとしたらすぐ入院して、その後、回復して1か月後に退院。それでまた悪くなって入院して亡くなってしまった。
小さい頃の夢は、幼いながらに自分が医者になって治してやりたいなって。でも、人間って不思議なもので、だんだんそういう夢も忘れちゃうんだよね」
弟の病気があり、医者になりたかったと話す本明。そんな彼はビジネスマンの道に進むことになるわけだが、彼自身も病に冒されるタイミングがあった。病名はC型肝炎。この病を機に規則正しい生活をするようになったという。インターフェロンを投与しながらの仕事、会社の規模が大きくなるなかで、治療と仕事を並行して行う日々。
「危機に直面しても逃げることはできないよね。それって人間関係と似ていて、例えば、人と喧嘩してその場で逃げてしまったらイヤなやつになってしまう。危機に対して、どういうふうに自分が対処できるかっていうのが大切。若いときはわからないけど、年を取ってくると経験を積んでいれば対処する方法はわかってくる。危機にも鈍感になるけどね」
土壇場に直面しても逃げないことが重要。当たり前のようで、なかなか実践できないこの教訓にも似た言葉。本明は“逃げない”ことをずっと続けてきたからこそ、成功を収めたのかもしれない。続けて「人生とは解決方法を探すこと」だと話を進める。
「解決方法がない問題はないと思う。いかに正解を出せるか、そういった部分を理解しながら年を取ることが重要なんです。何度も言うけど、商売をやっていると毎日が危機で、資金繰りもしなきゃいけないし、トラブルだってある。特に今の世の中は、ちょっとしたことで炎上してしまうでしょ。世の中がギスギスしちゃっているんだよね」
確かにそうだ。炎上しているニュースでSNSやネットはさらに盛り上がり、何が正義で何が悪なのかわからない状況に直面することは多い。そんな状況が「危険」だとも話す。
「僕は田舎で育っているので、例えば、家に母ちゃんがいなかったら、ちょっと近所のおばちゃん家に行って、飯食わせてもらうなんてことがザラにあったけど、今は隣に住んでいる人の顔も知らないことが多い。
そんな状況で地震が起きたりすると“絆だ!”とか言い出すじゃないですか。そこで初めて近所の付き合いが大切だよね、ということになる。それでは遅いですよね。やっぱり商売も同じで、何か危機が訪れたとき、どういうふうに対処していくのか、どういう人と一緒にやっていくのか、そういったことを初めから理解しておくことが重要だと思います」