憧れた最後の選手は岡崎慎司

またひとり、憧れの選手がそのユニフォームを脱ぐ決断をしました。

好きな選手は星の数ほどいれど、この歳になると「憧れの選手」はそうそう現れません。

そりゃボランチをするときは守田英正選手のプレーを頭に浮かべるし、CBやSBなら「ペップ(・グアルディオラ)ならどんな判断をしたら褒めてくれるだろうか?」とか考えますけど、上手くなりたいと毎日ボールを蹴った学生時代と違い、10年以上、娯楽としてのサッカーしかしていません。

その選手に憧れて、そのプレーを目指して努力をするなんてことは、もう今後一生ないのかもしれません。

そう考えると、僕が憧れた最後の選手は岡崎慎司選手になるのでしょう。

何度かこのコラムに書きましたが、高校から大学へ進学してサッカー部に入った際、僕は学年で一番下手くそで、一番足が遅く、一番フィジカルも弱かったです。

もう割り切って「下手でも守備に走って、点も取ったら文句ないだろ?」と考えるしかなかった。そんな時期に日本代表でプレーしていた若手FWが岡崎選手でした。

ワントップで出場すると、いまいちボールが収まらない。中盤で出ると、他の選手より足元がおぼつかず、他の選手よりも何倍も猛烈なプレスを受けながら奮闘する姿は、

「お、おれか……?」

いや失礼。すぐに気づきました。

「点を取れる、俺じゃないか……!!」

それからは、人生でこんなにも学ぶという目的で見たことがないくらい岡崎選手の動きを観察しました。

▲誰よりも走り、誰よりもユニフォームを汚す岡崎慎司選手のプレーを観察した イメージ: MakiEni / PIXTA

具体的な研究結果は過去に書いたので割愛しますが、『ゴールへの嗅覚』とか『FWの本能』とか、テレビで見て把握したつもりになっていた、あいまいな言葉を合理的に理論的に理解しようとするようになり、サッカー選手としての可能性が大きく広がったように思えました。

そんな僕の大学初ゴールは、サイドからのクロスボールをボレーで合わせ……ようとして空振り。真上に浮かび上がったボールをもう一度叩こうとしたら、キーパーがタイミングを外され横になっていたため、結果オーライで入ったイージーゴール。

2点目は2014ブラジルW杯のコロンビア戦のようなダイビングヘッドと、どちらも岡崎選手みたいなゴール。

大学通算9点のうち8点がペナルティエリア内だったのは、岡崎選手に憧れた成果だったと確信しています。

「奇跡のレスター」の物語の一員

そんな岡崎選手のキャリアのハイライトは、レスター(イングランド)での1年目のプレミアリーグ優勝になるでしょうか。

マンチェスターUとアーセナルの二強時代から、突如として石油王がオーナーとして現れたチェルシーやマンチェスターC。さらに、リーグでは冴えなかったところに名将・クロップが監督に就任して名門の復権を果たしたリヴァプールなど、経済力に優れたチームが優勝してきたプレミアリーグで、レスターの優勝はあまりにも奇跡的でした。

シーズン当初からどこか行き当たりばったりで、成り行きでカウンターチームになったレスター。

このチームは、岡崎選手が清水エスパルス加入時に5人中5番手のFWで、サテライト(二軍)のゲームでも人数が足りないからという理由でボランチを務めていたように、雑草と言える選手たち(工場勤務しながら8部リーグでプレーしていたバーディーや、プロクラブのユースのセレクションに小柄ゆえに落ちまくったカンテなど)の栄光への執念が、初めての優勝を呼び込んだように思えます。

「マフレズが1人で行くから自分は上がらない」

と決めて、途中から守備専門サイドバックになったシンプソンなど「できることをやる。できることに特化する」を完遂したのは、エリートじゃない選手たちゆえでしょうか。

今になって思えば、カウンターを完結できるバーディー、手詰まりになってもサイドを単騎突破できるマフレズ、世界一のボール回収屋カンテと、要所要所に多士済々が揃ってました。

そんなチームの潤滑油となっていたのが岡崎選手でした。ハードワークでチームを攻守に渡って助け、チームを優勝に導きました。このシーズンのPFA年間最優秀選手賞を受賞したカンテが評価されたのは、岡崎選手による前からのプレスの影響も大きかったように思えます。

このあとのシーズン含めですが、身体能力に優れた点取り屋タイプの選手がいても岡崎選手が重宝され、このシーズンのアウォードで前述の選手がノミネートされるなか、ラニエリ監督が岡崎選手を名指しで素晴らしかったと評したのも必然で、憧れを抱く僕には自分の理想形のように思えました。