囲碁将棋の漫才を初めて見たときに衝撃を受けた
――これまでのキャリアについても教えてください。お二人は芸人になった当初、どんな芸人になりたいと思っていましたか?
大波:この人たちみたいになりたい!っていうのはなかったんですよね。というのも、テレビで活躍する人たちを見て芸人になったので、舞台で漫才をやる人=売れていない人やと勘違いしていて。
安部:僕は芸人になるまでNGKに行ったことすらなかったです。
――そうなんですね。では、漫才師になったのはなぜなのでしょう?
大波:本当に恥ずかしい話なんですけど、コントは道具がめんどくさいなって……。
安部:NSCでネタ見せするときに、わざわざ100円ショップに行って、道具を用意したりっていうのがめんどくさかった。漫才ならいつでもできるよなって。
大波:だから、漫才にこだわりがあったわけでもないんです。自分たちが漫才やるようになって、M-1が始まったりしてから意識するようになりました。
――漫才師として活動を始めてから刺激を受けたのは?
大波:囲碁将棋ですね。僕ら世代は、みんなブラマヨさんとかフットさん、チュートさんに憧れていた芸人たちが多かったんですけど、僕ら的には囲碁将棋を初めて見たときが一番「やられた!」って感じました。
安部:ちょっと語弊がありますけど「関西人じゃないのに、こんなにおもしろいんや!」って衝撃やったんですよね。特に僕らは、NSCに入る前、関西で育って、その学校で一番おもろかったんやから、東京に行ったら余裕で一番おもろいんちゃうん? みたいな感じで来てたのに、あんなにすごい先輩を見ちゃって。“こんなに違うんや!”って。
解散の危機を救ったGAG福井の存在
――囲碁将棋とは一緒に大宮セブンを組んでいますが、2014年に「大宮ラクーンよしもと劇場」に所属したときはどんな心境でしたか?
安部:ヨシモト∞ホールを追い出されて、行くところがなくなったタイミングだったので、声をかけていただき助かりましたね。
大波:ただ、コンビとしてキツかったのもこの頃でした。
――そうだったんですね。
大波:2012、2013年とTHE MANZAIの認定漫才師に選ばれていたので、ネタにはちょっと自信があったんですよ。それなのに全然ウケなくて。
安部:2014年に大宮ができたばかりというのもあって、最初はお客さまもお笑いファンというよりも、ファミリー層だったり年配層だったりして……。めちゃくちゃスベってました。
大波:でも、僕はそれでいいと思っていたんです。正直、ルミネを見ていても、M-1で決勝にいつも行くような先輩方がウケているとは限らなかったから、そういうもんだよなと思っていたというか。
安部:ただ、それに対して、僕はファミリー層にもウケないと、賞レースでも勝てないんじゃないか……と思っていたんです。そこで意見が割れたんですよね。
――それをどのように解決したのでしょうか。
安部:気づいたら技術がついてきていました。あの当時は、ネタそのものを変えないといけないと思っていたんですけど、そうじゃなくて、伝える方法でいくらでもウケることはできるって気づけるようになったんです。
大波:僕は福井さんの影響も大きい気がしています。僕らそれぞれに「大波のこういうところがおもしろいんだよ」「安部のこういうところをお客さんは笑っているんだよ」って言葉にして伝えてくれて。福井さんがいなかったら、今こうやって芸人をやっていなかったかもしれないと思うと、ほんまに感謝ですよね。
安部:考えてみれば、大波をイジるようになったのも福井さんのおかげなんです。昔は、大波をイジる人なんていなかったんですけど、あの人が「イジっても大丈夫」って根回ししてから、大波をイジれる空気ができてきたので。
大波:たしかに。もともと、くりぃむしちゅーさんが好きだったのもあって、フレーズとか、例えには自信があったんですけど、結局それって、当時の僕のような“笑いにくい人”がやってもウケないんですよ。でも、福井さんが氷を溶かしてくれたおかげで、ウケるようになったんです。
安部もこんなに前に出る人じゃなかったし、ライブで主役になる人でもなかったんですけど、福井さんがそういう場を与えてくれてから、格段にウケるようになった気はしています。