『ガキの使い』の空気感を変えたらアカン
華やかな場所で活躍していたように見えるが、テレビ芸という綱渡りの人生にはさまざまなストレスがある。彼の妻は落語に没頭する姿を見て、“これで大丈夫だ”と感じていたと、のちのち方正に明かしてくれたという。
「落語はたくさん練習して覚えたけど、山崎邦正として劇場でやったら怒られるやろうな……とか考えました。それが原因で、せっかく見つけた道を閉ざされるかもわからんし。
当時、関西でレギュラー番組があって、陣内(智則)と(月亭)八光と、こいちゃん(シャンプーハット)の4人で毎週遊んでたんです。で、ふと“八光って落語やってたっけ? 月亭とかって言ってなかったかな”って気づいたんです。ホンマの本職やのに、そんなことも気づいてないくらい、落語について知らなかったんです(笑)。
ほんで、八光にすぐ電話して、“わかりました方正さん、ほんなら俺の弟子になってください”と笑いながら言われて、“いや、冗談ちゃうねん”って答えて(笑)。これこれこうで……って説明して、そこから“じゃあ親父(月亭八方)が勉強会をやってるから、方正さんも出れるように言うときますわ”って紹介してくれたんです。
それから毎月、呼ばれてもないのに勉強会に行ってました。“『看板のピン』(古典落語の演目のひとつ)を覚えてきました、見てください!”と。最初、(八方)師匠は“こいつ、呼んでもないのに毎月来よるな……”と思ってたそうです。
それが勉強会に通って1年半ぐらい経つと、本気だと伝わってきて。それから、“そんなに落語やりたいなら、正式に上方落語協会に入るか?”と誘われ、即答で“入りたいです!”と返事しました。
師匠からは“わかった。その代わり、落語をやめたら、芸能の世界からも足を洗えよ”と言われたけど、それでも構わんかった。たぶん師匠は師匠で、俺が上方落語協会に入ることで、周りから何か言われたと思うんです。それを俺には一切告げずに、ただ覚悟だけを確認したんやと思うんです。
40歳から落語を始める不安はもちろんあったけど、それ以上に魂が喜んでたんです。不安なんて感じないくらい、落語ができる! という喜びが勝ってました」
落語家としての生活のため、家族で関西に移住するという提案も一切反対せずについてきてくれた。家族の支えも、彼にとっては大きな力となっていた。その一方で、落語家としての活動と、テレビでの活動を両立させることには難しさを感じていた。
「八方師匠から“月亭方正を名乗っていい”と許可されてからは、落語をやるときは月亭方正、テレビに出るときは山崎邦正として出ていました。でも、落語家として高座に上がるときは<月亭方正(山崎邦正)>って出るんです。やっぱり山崎邦正の名前のほうが知られてるから。
でも、師匠がそれを見て“かっこ悪いよ”って。俺も月亭方正1本でいきたかったけど、渋っていて。正直、これはレギュラーだった『ガキの使い(ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!)』のため。『ガキの使い』は、世の中的にもそうやと思うけど、俺の中でもテレビ史に残る番組で、あの空気を俺が名前を変えたことによって変えたらアカン!って、ずっと思ってたんです。
やっぱり月亭の名前をもらうと、みんな遠慮しはるんです。事実、アッコ(和田アキ子)さんにも“月亭になってからイジりにくいわ”って言われて。それもアッコさんがきちんとお笑いに敬意があるからなんですけど、自分でも“そうやろな”って思いました。それで、師匠にも言われたから、ダウンタウンの二人に怒られても、月亭方正の名前でいきたいと伝えるしかない! と覚悟決めたんです」
2回目から出演し、初のレギュラー番組でもあった『ガキの使い』。彼がいかに『ガキの使い』という番組を大切にしているかは容易に想像できる。しかし、そんな悩みも杞憂だった。ダウンタウンとのやり取りをうれしそうに語る。
「松本さんには“自分の人生なんやから、好きにしたらええやろ”と。浜田さんにも“それ、おもろいやん”って。よう考えたら、名前を変えることに反対するようなちっさい人たちじゃない(笑)。
いま思えば、名前変えたくらいでダウンタウンさんが変わるわけないですよね。だって、改名したあとも松本さんは山崎って呼ぶし、浜田さんも山ちゃんって呼ぶ。月亭方正って1回も言われたことないけど、それでよかったなって思うんです」
ラブを受け取って自分の内面も変わりました
40歳は不惑と言われ、人生の方向性を見つける年齢と言われる。そして、50歳になると知命と言い、自分の使命が見つかるとされる。月亭方正も40歳で落語に出会い、50歳を超え弟子を取った。
噺家生活15周年を迎え、全国で落語会を開いて盛況を博している。5月31日(金)には、東京・伝承ホールで、ゲストに林家たい平を迎え、「噺家生活15周年記念 月亭方正落語会」を開催する。
「俺は40歳で落語に出合って、突っ走ることができて本当によかったと思ってる。出合ってからは、その道筋をとにかく自分の努力と力で前進していくだけでしたから」
落語界では上下関係は一門を越え共通。師匠は「落語界全体にとっての師匠」、弟子は「落語界全体にとっての弟子」という一面を持ち、別の一門の師匠から指導してもらってもいい。その指導には大きな価値があると語る。
「古典落語は“はい、これやってね”って全部くれるんです。例えば、志の輔師匠に『井戸の茶碗』という古典落語の稽古をつけてもらって、いただいたんですけど、おそらく志の輔師匠は、さらにお師匠さん、たぶん立川談志師匠からいただいてる。そうして、いただいた茶碗を磨いていくわけですね。
そうすると、この茶碗がダイヤモンドになる。師匠はそのダイヤモンドを、弟子とか、例えば違う一門である自分にも“はい、どうぞ”とくれるわけ。これって何十万、何百万、何千万の価値があるんですよ。それを無償でくれるのってラブでしかない」
落語の世界に身を投じたことで気づいた感謝の気持ち。そして、それを次の世代へ受け継いでいくことこそが、彼にとっての使命なのかもしれない。
「ラブを受け取ると俺の内面も変わってくるんです。当たり前だけど感謝の気持ちを持つようになる。テレビ時代は感謝というよりも、こなくそ根性だったんです。見返してやろうとか、噛みついてやろうとか。そこに感謝はなかったんです。
でも、落語を始めてどんどんダイヤモンドをいただけてる。ほんなら、怒りとかそんなのはなくなって、自然と感謝の気持ちが湧いてくるんです。日々、感謝して人生を歩める。これほど良い世界はないですよ。今は弟子もとって、今度は俺が与えていかな! と思っています」
(取材&撮影:TATSUYA ITO)
《東京》噺家生活15周年記念 月亭方正落語会
日時:2024年5月31日(金) 開演 19:00(開場18:30)
会場:伝承ホール
料金:予約3,500円(当日4,000円)
ゲスト:林家たい平
チケット情報:FANY Ticket