仕事のモットーは「必ず仕上げる」
そもそも「趣味を成立させるための仕事」だったはずなのに、毎回しんどい。広井のやりがいやモチベーションはどこにあったのだろうか?
「全部が手探りだったから、みんなで“なんとかしましょう”と話し合って工夫して、そういう人たちが集まってつくってたので。僕、基本一人でいたから、みんなで同じ目的に向かって、バカみたいな試行錯誤しているのが気持ちいいんですよ。
だからいわば、文化祭。だってさ、文化祭って楽しかったでしょ? タダであれだけ打ち込んでたことを、お金もらってできるんだから(笑)。だいたい完成すると“え、もう終わり?”と思ってるんです。
あとは、僕、たぶん承認欲求が強いんだと思うんですよ。プロデューサーが困って、僕に“まかせた!”と言ってくれることには、現場で倒れても応えたいと思っています。だから、僕の仕事は“ヒットするかしないか”ではなく。“必ず仕上げる”ということをテーマにしてるんです。だから、土壇場の仕事しかこないのかもしれないね」
「でも、それが楽しいんだよね!」と広井は破顔一笑。
その仕事は、「ちゃぶ台返し」と言われることが多く、これはウィキペディアにも記されているほどだ。
「なにしろ前例のないことばっかり請け負ってきましたからね。やったことないのでやってみる。やってみたらそれじゃないことがわかる。またやってみる……っていう繰り返しで、全てに対して壊しながら進むやり方が染みついているんです。
今は時代が変わって、いっぱいツールがあるけど、それでつくると普通にできちゃうんもんね(笑)。そこの手間はかからないから、スケジュールは早いんですけど、ツールが対応してないことができないんですよね。だから、それ以前の根本からもう1回考えたくなっちゃうんです」
ただそれは、生きてきた時代によって身についているということだけでなく、明らかに好きだからでもあるのだ。
「今は、キャラクターやアイテムをNFTにして流通させるゲームを作ってるんです。旧知のプロデューサーで、NFTがうまくいってないところの土壇場で来た仕事だと思うんですよ。
といっても、僕自身よくわからないので、勉強しながら取り組んでます。そういうのって、現場の楽しさだけじゃなくて、どこかでヒリヒリしてるんですよね。うまくいくかどうかわからない、そのヒリヒリ感が好きなんですよ」
そして付け加える。
「それは舞台でも同じです。『サクラ大戦』なんて、実際の声優さんで舞台をやって、そこらじゅうから“なにやってんだ!”と突っ込まれ倒しましたもん(笑)」
『サクラ大戦』とともに駆け抜けた40代
『サクラ大戦』は世間が認める広井王子の代表作だ。1996年にセガ・サターン用ゲームソフトとして発売され、のちにアニメ化・舞台化などのメディアミックス展開し、セガを代表するシリーズとなった作品である。
今でこそ、ゲームやアニメの声優が、実際に舞台上でキャラクターを演じる公演は当たり前になったが、『サクラ大戦歌謡ショウ』の初演は、ゲーム発売翌年の1997年。例によって、誰もやったことのない案件であったが、広井には勝算があった。
「声優さんって、劇団でみっちり基礎から経験を積んでる方がほとんど、皆さん、ものすごく舞台映えもするしセリフも明瞭だし、そういう意味では僕にとっては、なんら不思議なものではなかったんです。それに、キャラクターの声優さんは、当初から舞台公演も視野に入れてキャスティングしていましたから」
広井は総合プロデューサーとして、40代の10年間を『サクラ大戦』とともに駆け抜けた。試行錯誤のヒリヒリはないものの。忙しすぎたと振り返る。
「毎晩2時間睡眠で、ベッドで寝た記憶がほとんどありません(笑)。毎日いろんな人に会って、ゲーム作ってドラマCD作ってアニメ作って歌作って歌謡ショウやって漫画やグッズの管理もして、キャストのインタビューまで。みんながうちの鍵を持ってて、朝起こしに来て、服を着させられて、現場に連れてかれて……。
集中力とモチベーションがプチって切れる音がしました。あれが初めてやったプロデュースって仕事で、いま思い返しても……よく体を壊さなかったな(笑)」