自作したラジオで初めて聴いたオールナイトニッポン

――お笑いには、いつから関心があったのですか?

おもち:小学生の頃からですね。小学生のとき、『M-1グランプリ』でトータルテンボスさんが決勝進出していて(2004、2006、2007)、それを見て“この人ら、めっちゃおもろいな!”と思ったのが、お笑いや漫才が好きになったきっかけです。「しのびねえな」「かまわんよ」ってフレーズでゲラゲラ笑っていました。

――滋賀県にお住まいですよね、関西のお笑いに触れる機会も多かったのでは?

おもち:当時は、まだ関西のお笑いに興味がなかったんです。その頃、関西では若手時代の千鳥さんが注目されていました。『千鳥のぼっけぇTV!』(GAORA)という番組を放送していたんですけど、当時の千鳥さんの芸風が今よりもずっと尖りまくっていて、ちょっと怖かった。子どもだった自分には難しかったです。

――幼い頃は、どんなお子さんでした?

おもち:小学校2年生までは無口でした。小3になってクラスに友達ができて、そいつがとにかくむちゃくちゃよく喋るヤツやったんです。そいつの影響で、次第に自分も“人前で喋りたい”という気持ちが強くなってきました。とはいえ、喋れる機会がない。それで中学校に入ったら、生徒会に立候補したんです。生徒会やったら全校生徒の前で喋れますから。

▲「人前で喋りたい」から生徒会長に立候補した

――学校の人気者でだったおもちさんが、ラジオの深夜放送を聴くようになったきっかけは?

おもち:中学時代、学校の技術の授業でラジオを自作したのが最初です。基盤にはんだ付けして組み立てて、ゼンマイを手で回して充電したり、ジャックにイヤホンを挿して聴いたりするシンプルなAM専用ラジオでした。それを高校時代までずっと使っていましたね。

――ラジオを聴き始めたきっかけが「自分で作ったから」ですか。そんな理由、初めて聴きました。

おもち:まだ、radiko(ラジコ)がない時代でした。AMやからFMに比べて電波がきれいに入らないんですよ。電波をキャッチしやすい角度になるまでアンテナを倒したり、窓際の音のいいところを探したりしながら聴く、原始的なラジオでした。

――芸人さんの番組を聴くようになったのはいつですか?

おもち:2009年、『オードリーのオールナイトニッポン』が最初です。 “吉岡さんの番組以外はどんなのがあるのだろう”と思っていたところ、ちょうどオードリーさんのオールナイトが始まったんです。

オードリーさんは2008年のM-1がめっちゃおもろかったし、生徒会でも「これからね、演説を始めるんですけれども」とモノマネしていたくらい好きやったから。それですぐに聴き始めました。

――春日さんではなく、若林さんのモノマネとはシブいですね。

おもち:当時から“誰もが注目している側じゃないほうを見る”という視点が、自分にはあったと思います。それでオードリーさんの番組を聴きだして、伝説のハガキ職人“ツチヤタカユキ”さんの存在を知りました。

2年間で300ネタ以上採用されていて、どれもおもろくて、ほんますごかった。ハガキ職人と呼ばれる人がいるのを初めて知ったし、有名リスナーの名前を憶えたのも初めての経験でした。

――映画化(『笑いのカイブツ』)もされたツチヤタカユキさんの存在は衝撃でしたね。おもちさんもオードリーのオールナイトニッポンに投稿されたのですか?

おもち:ぜんぜんです。ハガキを1通、ガラケーで2通くらいですね。聴く専門でした。ただ、聴いていくうちに自分が好きな笑いの傾向が変わっていくのを感じてはいたんです。誰しもが笑う、明るくて楽しい笑いより、もう少しコアな、深夜感がある笑いを好むようになっていきました。