中大レスリング部OBの諏訪魔からのスカウトで入団

安齊の大学時代の主な戦績は1年の18年は東日本学生選手権(秋季)新人戦=グレコ82kg級3位、2年の19年は全日本大学グレコローマン選手権97kg級5位、東日本学生選手権(秋季)新人戦=フリー92kg級3位&グレコ87kg級3位。3年の20年はコロナ禍のためにほとんどの大会が中止になってしまった。そうした中、レスリング部のOBの諏訪魔から声が掛かった。

「体が細くて、全然大きくならなくて、プロレスラーを半分諦めかけていて、教員免許を取ろうとも思っていたんですよ。そのうちにコロナ禍になってメチャクチャ筋トレと死んじゃうぐらいの飯トレをしまして、1日10合8食をノルマにして泣きながら飯を食ってたら1年間で25kgぐらい体重が増えたんです。

それで『これならプロレスで頑張れるんじゃないか』と思って、ちょうど就活の時期だったんで、レスリング部の山本美仁監督に『プロレスラーになりたいです』って打ち明けたら、監督は諏訪魔さんが4年生の時に1年生だったんです。『じゃあ、諏訪魔さんに紹介してあげるよ』ってことで、諏訪魔さんに会わせていただいたら目をかけてくださって…」

▲中大レスリング部の監督の縁が全日本プロレスにつながった

安齊が全日本プロレス入りを決めたのは2021年6月26日の大田区総合体育館で全日本を初めてナマで観戦してから。この日のメインイベントでは諏訪魔がジェイク・リーの挑戦を受けて三冠王座の防衛戦を行う予定だったが、諏訪魔のコロナ感染により、ジェイクと宮原健斗、青柳優馬による巴戦での三冠王座決定戦に変更。ジェイクが新王者になった。

「プロレスラーになれれば団体にはこだわりはなかったんですけど、諏訪魔さんに熱心に誘っていただいていたし、大田区の大会を観に行かせもらって『ああ、全日本にしよう!』って。試合を観てて、単純に『面白い!』と思って。だから、これっていう明確な理由はなくて、ホントにその時に『全日本にしよう!』って思ったんです」

大学4年での安齊のレスリングの主な記録は6月の東日本学生選手権(春季戦)選手権の部=フリー97kg級優勝、10月の全日本学生選手権=フリー97kg級5位まで。「全日本に行くと決めてからは激しい減量はせず、体を大きくして、スクワットを毎日やっていました」とのことで12月の全日本選手権も出場を辞退してアマチュアのキャリアを終えた。

そし2022年1月2日、後楽園ホールのリング上で4月1日付で全日本に入団することが発表されて「ジャンボ鶴田、諏訪魔に続くスーパールーキー!」として注目された。

とにかくハードだった練習を経てリングデビュー

スーパールーキーとは言っても実際には練習生。大学を卒業して4月1日から合宿所に入ると8時に起床して合宿所と道場の掃除、10時から2時間半の練習、ちゃんこ、皿洗い、洗濯、先輩の雑用、そして外出禁止という毎日を過ごした。そして何と言ってもキツいのは練習である。

「基礎体はいけると思っていたんですけど、まったく付いていけなくて。みんな顔色ひとつ変えずにやってるんですけど、僕は吐きながらやってて『やっぱりプロレスラーはスゲーな!』って、改めて実感しましたね。

休憩が一切なくて、声もめっちゃ出して、慣れるまで1か月半ぐらいかかりました。毎日、動けないくらい筋肉痛だったし、当時、昼寝は駄目という謎のルールがあって。ヘロヘロで四つん這いになって階段を上がるぐらいになっているのに昼寝ができなくて」と、当時を振り返る。

さらにプロレス特有の受け身やロープワークも身に付けなければならない。

「同期がいなくて僕ひとりだったし、比べる人もいなかったんで『これが当たり前!』みたいな感じだったんですけど、今の練習生を見ていると、僕は恐ろしいペースで習わされていたんだなってわかりました。高く投げられるっていうのはやっぱりキツかったですね、ロープワークも痣を作りながら何とかっていう感じで。

何回辞めようと思ったかはわからないですね。本当に辞めたかったんですけど、人と話すのがあまり得意でなかったし、コーチの青柳(優馬)さんも凄く怖いですし、誰に『辞めたいです!』って言っていいかわからず、とりあえず今日の練習終わったら、もう1回考えて『明日言おう』っていうのを毎日繰り返しているうちにデビューが決まったので『じゃあ、1か月踏ん張ろう』って」

全日本の選手はスタミナ、受けの強さに定評があるが、それはあらゆる角度から何本も受け身を取る練習を徹底的にやらされるからだ。この本数の練習は安齊にとってもハードだったようだ。

「50本投げられて受け身を取って、タックルで10本受け身をとって、ロープワーク10往復というのを暑い道場で毎日やるんですよ。声が出てないとか、受け身が汚くなったら数えてくれないし。前後左右がわからなくなるくらいヘトヘトになるんですけど、それをまずやってからスパーリングとかの実練をやって、スクワットを500回やって。

“受け身の全日本”ってよく言いますけど、その意味がよくわかりますね。本数が始まってからは親とか大学の同期に毎日電話して『マジで無理だ』みたいなことを言ってましたね(苦笑)」

▲入団してからデビューするまでは過酷な日々だった

そうした練習をクリアしながら入門から5か月半、9月18日の日本武道館における全日本創立50周年大会でのデビューが決定。相手は全日本の先輩ではなく、ファン時代にテレビで観ていた新日本の永田裕志だ。9分9秒、ナガタロックⅡに敗れたが、ダブルアーム・スープレックス、ミサイルキックを炸裂させるなどスーパールーキーにふさわしいファイトを見せた。

「緊張しすぎてあまり記憶がなくて。人生で一番だったと思いますね、緊張は。最初、リングまでバーッと走って、リング上で吠えたところまでは記憶があるんですよ。あとはミサイルキックをやろうと思ってコーナーに上がったら汗で滑ってズルズルッてなったのを憶えていて。

次の光景は手を挙げられて四方に礼をしているみたいな感じで断片的にしか憶えてなくて。後々、映像で観て『こんなことしていたし、こんなことされていたんだ』みたいな感じでしたね」

敗れたとはいえ華々しいデビューを飾った安齊だが、この後、スーパールーキーゆえの本当の試練に直面することになる――。