将来の夢は「ゲームを作る人になりたい」

さて、ちょっと今週から2回ほど、パチンコから離れたお話になります。

パチンコやスロットとは、直接は関係のないお話が続くのですが、書いてみたら思ったより大ボリュームになってしまいました。現在、新型コロナウイルスの影響で、外に出る機会も減っていることもあって、逆に思ったよりも筆が捗(はかど)ってしまったという背景もあったりしますが。

今や、すっかりパチンコおじさんになっている「僕」という存在にたどり着くまでの過程という意味では、避けて通れない話なので、ぜひ読んでいただけたら幸いです。

まず、僕が「子供のときに、大きくなったら、何になりたいと思ってた?」っていうお話をしたいと思います。

今の僕の職業って、平たく言うと「パチンコパチスロYoutuber」ですけど、当然、最初からそんな仕事につきたいと思っていたわけでもないですし、なんせ、僕の幼少の頃なんてYoutubeはおろか、インターネットだってマトモに普及していないわけですから。そもそも、そんな職業そのものが存在していないわけで。

オリジナルパチンコが楽しいなーって思いはありましたけど、まさかそれだけで当時から「パチンコの楽しさを伝える人になりたい」なんて思うわけがなく。いわゆる雑誌系のライターさんとかは、もちろん当時から活躍されてたのかもしれませんが。昔の自分が今の自分の姿なんか、想像することもできないんじゃないでしょうか。

連載の第2回では、「親父が作ってくれたパチンコで英才教育を受けた!!」という話を書かせていただきましたが、もちろんそれも、一過性の話。いくつか台は作ってくれましたけど、親父の本業はパチンコメーカーでもなんでもないので、そんなに新台のリリースが担保できることもなく(笑)。

なので、作ってくれたオリジナル台を遊んでいるときは興味深々で遊んでいた僕ですが、元来飽き性なこともあって興味は徐々に別の物に移っていきます。

そうですね。

ファミコンです。

今の若い子とかファミコンを見たことない人すらいるらしいし、何だったらニンテンドーWiiとかを懐かしく思う世代らしいですね。

ちょっと待てや。Wiiとか最新ハード過ぎやろ。

まあ、我が家もね、当時ファミコンが与えられてですね、子供心を鷲掴みにされるわけですよ。マリオやらドラクエやら、ね。なんだったら親父のほうが夢中になってたけどな。そんな中で、小学校高学年のころから、おぼろげながら将来の夢みたいなものが生まれてきます。

「ゲーム作る人になりたい」

当時は「ゲームクリエイター」なんていう、ハイカラな単語はなかったですけどね。自分でもなぜそういう風に思ったのかは定かではありません。まあ、もしかしたらこの辺りも「モノづくりが好き」な父親の血を引いていたから、という説はあります。