『北区赤羽』は一気にブレイク

ここが清野さんの漫画家人生最大の勝負所だった。

「29歳になる直前に『赤羽』の連載が決まったんですけど、『これで失敗したら次はないな』という思いがあって相当気合いを入れて描きましたね。年齢的なこともありましたし。30歳までに何の結果も出せなかったら、漫画からはキレイさっぱり足を洗おうと決めてたんです」

2009年に単行本の第1巻が発売、その後のブレイクは多くの読者の記憶に残っているだろう。『東京都北区赤羽』シリーズは累計50万部を超えるベストセラーになり、山田孝之主演のドラマ(モキュメンタリー)も制作され清野さん自身も出演を果たした。

赤羽という東京の片隅にあるマイナーな下町は、一躍人気の街となり、最近では都心から赤羽までわざわざ飲みに行く、という若い人も増えている。『北区赤羽』は一種の社会現象だった、と言っても大げさではないだろう。

売れたことで何が変わったのか?との問いに「強いていうなら、周りの反応が変わった」と清野さん。

「昔と比べると、周囲からゴミのような目で見られる機会が減ったような気がします。あと昔の担当さんから『久々にまた飯食いに行こうよ』と連絡が来たり、以前持ち込みをして全否定された出版社から連載依頼もきましたね。ああ、ようやく認めてもらえたんだと嬉しかったですね。連載は思いきり断ってやりましたけど(笑)」

ひょうひょうとして見える清野さんだが、ずっと「編集者を見返したい」という何くそ魂を持っていた。その気概がひとつの結果につながったのかもしれない。

ちなみに今後も、「街」や「人」など、あくまで“現実”を題材にした漫画を描いていきたいそうだ。今後も清野作品に注目していきたい。

▲取材は、赤羽駅の高架下で行われた。普段この辺りでは、地元のおじさんたちが酒盛りをしているという。 「おじさんたちってば、このポールの上に第三のビールを器用に載せて飲んでるんですよ」とニヤリ。