深川七場所のひとつ「石場」
深川は、現在の東京都江東区に当たる地区である。深川には、男の歓楽街が多かった。
岡場所も多数あり、有名なところだけで七カ所もあった。これを、俗に「深川七場所」といった。
深川七場所のひとつに「石場」という岡場所があった。
ここはかつて、隅田川の河口にできた小さな島だった。明暦・万治(1655~61年)のころ、榊原越中守の別邸となったことから、越中島と呼ばれた。
その後、波の被害が大きかったことから幕府に返上され、石置き場となっていた。そこに、延享四年(1747年)に岡場所ができた。元は石置き場だったので、石場と呼ばれたのである。
石場は繁盛したため、天明二年(1782年)には隣接地に岡場所を拡張した。
このため、延享四年に営業を開始したところを「古石場」、天明二年に開始したところを「新石場」と呼んで区別した。
古石場は現在の江東区牡丹一丁目、新石場は牡丹二丁目のあたりである。
古石場と新石場の女郎屋に男たちが詰めかけ、それを目当てに茶屋や料理屋、そのほかの商家もできる。石場はたちまち、男の歓楽街となった。
図1は古石場の女郎屋の入口の光景である。
画中に「古市場娼門図」とあるが、古市場は古石場のこと。右手の、火鉢を囲んだ女三人が遊女である。
この絵からも、古石場の女郎屋の繁盛がわかろう。
図2は、図1の女郎屋の二階の光景。
奥の座敷では宴席が開かれているようだ。左は、布団を運ぶ若い者であろう。