ドイツにおいての「音楽の父」バッハ
17世紀から18世紀中ごろになると、バロック音楽の時代である。プロの音楽家が増え、ヴァイオリンが発明され、通奏低音が使用された。合奏協奏曲、オペラ、オラトリオ、カンタータなどの形式の音楽が生まれた。
それに先立つルネサンス期のイタリアで、マドリガーレという世俗歌曲が歌われ、多くの名作を書いたのが、バロック時代の最初期の大作曲家であるクラウディオ・モンテヴェルディ(1567~1643年)で、オペラの父ともいえる人物だ。
ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナは、ローマ教会の様式の統一に努めたイタリア人で、歌いやすく聞き取りやすい音楽を普及させた。
ヴェネツィアで活躍したアントニオ・ヴィヴァルディ(1677年ごろ~1741年)の合奏協奏曲『四季』は、わかりやすい題材でもあり、現代に至るまで世界中で愛されている。モンテヴェルディの『オルフェオ』は、オペラの基礎を固めた記念碑的な作品だ。
このころのイタリアの音楽には、すばらしい旋律と愁いに満ちた深い情感がいまも愛されているものが多いが、『アルビノーニのアダージョ』と『ヴィターリのシャコンヌ』を挙げておこう。両方とも後世の作曲家の手が入って改変、あるいは、バロック風につくった偽作だともいうが、最も愛されているクラシックの小品のひとつだ。
このころ、フランスのルイ14世などの宮廷では、ジャン=バティスト・リュリやジャン=フィリップ・ラモーが活躍して、オペラやバレエそれに鍵盤楽器用の名曲を残した。これらの音楽は最近再評価され、とくにラモーの和声理論の研究が注目されている。
バッハは「音楽の父」と呼ばれていたが、音楽後進地域だったドイツにおいてということで、それ以前にすぐれた音楽がヨーロッパになかったわけでない。バッハはイタリアとフランスの音楽も学び、調性、和声、形式など新しい音楽を生み出す基礎をつくった。
広いジャンルの作曲をしたが、オルガニストとしての仕事を代表するのが、オーケストラ編曲でも知られる『トッカータとフーガニ短調』、教会音楽家としては『マタイ受難曲』が知られる。
鍵盤楽器のためにも多くの名品を書いているが『平均律クラヴィーア曲集』が代表作。オーケストラのためには『G線上のアリア』を含む『管弦楽組曲第3番ニ長調』、そして弦楽器の曲では『シャコンヌ』を含む『無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ』を挙げる。
そのバッハと同じ年代で、ドイツ生まれながらイタリアや英国で活躍したのがゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルだ。『水上の音楽』と『ハレルヤ・コーラス』を含むオラトリオ『メサイア』が代表作。『オンブラマイフ』や『見よ、勇者は帰る』も小品として人気だ。
※本記事は、八幡和郎:著『365日でわかる世界史』(清談社Publico:刊)より一部を抜粋編集したものです。