1912年ストックホルム大会に初参加した日本
2019年のNHK大河ドラマ『いだてん』でよく知られるようになったが、日本選手団の初参加は、1912年のストックホルム大会である。
初めてメダルを取ったのは、第一次世界大戦後の第7回のアントワープ大会で、テニスの熊谷一弥(くまがいいちや)がシングルスと柏尾誠一郎(かしおせいいちろう)と組んだダブルスで銀メダルを獲得した。そして、その8年後のアムステルダムで、陸上、水上ひとつずつの金メダルを取ることに成功した。
第5回 ストックホルム(スウェーデン/1912年)……日本から短距離の三島弥彦(みしまやひこ)とマラソンの金栗四三(かなくりしそう)が初参加した。マラソンでポルトガルのフランシスコ・ラザロが倒れて翌日に死亡した。
第6回(1916年)……ベルリン大会が予定されていたが第一次世界大戦で中止された。
第7回 アントワープ(ベルギー/1920年)……第一次世界大戦でベルギーは中立を侵されて戦場となったことから、戦後復興のシンボルとして企画された。初めて選手宣誓が行われた。テニスの熊谷一弥がシングルスと柏尾誠一郎と組んだダブルスで銀メダルを獲得した。フィンランドのパーヴォ・ヌルミは陸上の1万m走をはじめ2種目で金メダルを獲得し、パリ、アムステルダムを含めて9個の金メダルを獲得した。
第8回 パリ(フランス/1924年)……ジョニー・ワイズミュラーが100m自由形、400m自由形、自由形リレーで金メダル、水球で銅メダルを獲得し、のちに映画スターとしてターザン役などで活躍した。内藤克俊(ないとうかつとし)は柔道家だったが、レスリングで銅メダルを獲得した。
第9回 アムステルダム(オランダ/1928年)……インドがホッケーで金メダル。陸上競技と体操で女子選手の参加が認められ、陸上800mに人見絹枝(ひとみきぬえ)が出場し銀メダル。織田幹雄(おだみきお)が三段跳び、鶴田義行(つるたよしゆき)が平泳ぎで金メダルを獲得。初めて聖火が使用された。テニスはプロ化に反対して実施競技から除外。
第10回 ロサンゼルス(アメリカ/1932年)……世界恐慌の影響もあり参加者が激減した。男子競泳で日本が400m自由形を除く5種目で金メダル。背泳では金、銀、銅を独占。三段跳びでは南部忠平(なんぶちゅうへい)が優勝。馬術のグランプリ障害飛越競技で西竹一(にしたけいち)中佐が愛馬のウラヌス号とともに勝利し、「バロン・ニシ」は大スターとして扱われた。
※本記事は、八幡和郎:著『365日でわかる世界史』(清談社Publico:刊)より一部を抜粋編集したものです。