イタリアで開花したルネサンス
ルネサンスはギリシャ・ローマへの回帰を口実に、宗教の束縛から離れ人間らしい、また理性を重視した生き方をしようということであり、クワトロ・チェント(15世紀)にイタリアで毛織物産業と金融業の町として栄えたフィレンツェから起きた運動である。
建築家としてはフィリッポ・ブルネレスキが活躍した。彫刻では『サン・ジョヴァンニ洗礼堂扉』(フィレンツェ)を製作したロレンツォ・ギベルティ。『ダビデ』で近世初の裸体像を製作し『ガッタメラータ騎馬像』(パドヴァ)でも名声を高めたドナテッロが出た。
初期の画家には写実的なマサッチオらがあり、天使のようなという意味のフラ・アンジェリコの『サン・マルコ修道院の受胎告知』。もう少しラディカルな『ヴィーナスの誕生』『プリマヴェーラ』(いずれもフィレンツェのウフィツィ美術館)のサンドロ・ボッティチェッリ、ピエロ・デラ・フランチェスカが活躍した。
16世紀になると中世の残滓は消え、盛期ルネサンスの時代で『モナリザ』(ルーヴル美術館)や『最後の晩餐』(ミラノ)のレオナルド・ダ・ヴィンチ。彫刻家として『ダビデ』(フィレンツェ)を作り、画家としてはシスティーナ礼拝堂の『最後の審判』で知られるミケランジェロ・ブオナローティ。完璧な構成感と優雅さで美の規範をつくったといわれた『小椅子の聖母』(ピロッティ宮)や『アテネの学堂』などのラファエロ・サンティが出た。
やがて文化の中心はヴェネツィアに移った。『嵐』が代表作のジョルジョーネ。『聖愛と俗愛』『ウルビーノのヴィーナス』や王公の肖像画などを描いたティツィアーノ・ヴェチェッリオ。ルーヴル美術館にある見事な大作『カナの饗宴』(ルーヴル美術館)のパオロ・ヴェロネーゼらが出た。
そのころブルゴーニュ公国領だったフランドルでは、油絵の技法や風景の処理に新境地が開かれ『大法官ロランの聖母』(ルーヴル美術館)のファン・エイク兄弟や『快楽の園』(プラド美術館)のボスが活躍した。
さらにアルプスの北では、ペスト流行の暗い世相を反映した『ヨハネの黙示録の四騎士』(ミュンヘンのアルテ・ピナコテーク)などを描いたドイツの国民画家アルブレヒト・デューラーや『キリストの磔(はりつけ)・イーゼンハイム祭壇画』(アルザス・コルマールのウンターリンデン美術館)のマティアス・グリューネヴァルト。ブリュッセルで活躍した『バベルの塔』(ウィーン美術史美術館)のピーテル・ブリューゲルなどが出た。
一方、奇抜な技巧を使ったマニエリスムの時代が起こった。イタリアではアーニョロ・ブロンズィーノ、ギリシャ人でスペインのトレドに住んだエル・グレコの『オルガス伯の埋葬』などは一例だ。フランスではフォンテーヌブロー派が独自色を出してきた。
※本記事は、八幡和郎:著『365日でわかる世界史』(清談社Publico:刊)より一部を抜粋編集したものです。