災禍を乗り越えてきた経験が繋がった宮城県

宮城県には村井嘉浩(むらいよしひろ)知事がいます。「3・11のとき、村井さんの頑張りは特筆するものがありました」としたうえで、「3・11疲れなのではないか」などと具体性のない批評がされています。

しかし、宮城県が被災のど真ん中だった3・11のときには、全国に向かってその窮状と支援を訴えるべき立場でしたが、今回は宮城県知事として、そういう立場ではありませんでした。

むしろ3・11で築き上げた政府との密接な関係を生かして、落ち着いた状況判断をし、震災に続く災禍に戸惑う県民に我慢を呼びかけつつ、適切な時期に一条の光を感じる希望をもたせるような発信してきたのには、やはり自衛隊、松下政経塾、裏千家の茶人という経歴の中で、リーダーシップのなんたるかを学んできただけのことはありました。

さらに、9月入学提案を他府県の知事に提案して、うねりを引き起こした仕掛け人となったのは称賛できます。というのは、4月入学では冬の厳寒期が入試となり、東北など寒冷地の若者にとって過酷であり、東北のリーダーとして素晴らしい働きでした。

まずその場を凌ぎ、新しいことはそのあとという人もいますが、村井知事は「物事にはきっかけがある。宮城でも水産特区や仙台空港民営化は、震災がなければ踏み切れなかった。有事を機に見直せることもある」と前向きな発想を強調しています。

「国に予算を求める立場ではあるが、国の財政を考えると複雑だ」というあたりは、“どんな立場にあっても天下国家のことを考えろ”という松下幸之助翁がいま生きていたらどうしただろう、と反芻をくりかえすという村井知事らしさが出ています。

▲村井嘉浩知事 出典:クリエイティブコモンズ

特色ある政策を打ち出した山梨県

首都圏の一角である山梨県長崎幸太郎(ながさきこうたろう)知事は、昨年末に中国でペスト発生が伝えられると感染症対策の不備に気付き、春節の中国人観光客到来を念頭に対策を始めていました。

コロナ発生以降は、重症者受け入れ態勢の充実は時間との戦いだと急ぎました。その際に悩んだのは「休業補償を出せ」という圧力でしたが、東京のように裕福ではないところでは出しても少額になるし、一部の業種しか対象にできませんし、医療体制の整備が犠牲になると頑張りました。

そのかわり「持続化給付金」を、業種にかかわらず受け取れるように申請支援することに力を入れました。自身の給与を1円にしたのが話題になりましたが、スタンドプレイではなく、バラマキを避けるために、あえて自分でまず身を切る姿勢が不可欠だったようです。

特色ある政策としては、保育園に預けず両親が仕事を休むことを援助したり、ドライブスルー検査などでPCR検査人口比全国一にする、マスクなどを県内で生産し安心と雇用と両方に役立てるなどし、今後もあらゆる感染症に強い体制を築き上げました。