見直された父親の「役割」と「価値」

新型コロナウイルス蔓延に伴う外出自粛や在宅勤務のために、人々が自宅で過ごす時間が長くなりました。このことで、家族で話をする時間が増えたことは、総じていいことでした。

特に、お父さん(夫)と子供との接触機会が増えました。その結果として夫婦喧嘩になって、コロナ離婚もあるでしょう。しかし、父親は家族の食事が終わったあと帰宅し(日本では男女の帰宅時間に大きな差がある)、休日は疲れて寝てばかりいるのは減りました。

父親が勉強を教える機会も増えて「お父さんは、いろんなこと知ってると見直された」という話も聞きます。保育園も受け入れ人数を絞ったので、仕事を持つお母さんは大変でしたが、子供にとっては嬉しかったでしょうし、父親も手伝わざるを得なくなりました。

日本の子育て支援は「保育園の一本足打法」といわれ、私もそれを批判してきました。欧米では、家族(両親など含む)・友人・ベビーシッターなどに応援を求めたり、同一賃金同一労働のおかげで、週3日だけ働いてあとは自分で面倒を見るなどして、多様な形で子育てを支えています。

保育料より高いコストを、財政で補填するばかりの保育園偏重はおかしいのです。

▲新型コロナで増えた家族と語らう時間 イメージ:PIXTA

新型コロナで増えた家族らう時間

海外はオフィスでも個室が多いので、職場に子供を連れて行くとか、自宅で在宅勤務をしながら子供の面倒を見ることも珍しくありません。今回の騒ぎで大部屋のオフィスは見直されるでしょうし、在宅勤務も多くなるから、日本でも状況は変わりそうです。

離れて住んでいる祖父母との関係では、帰省を止められたのは残念でしたが、Zoomなどのテレビ電話・会議システムを使って、孫たちも一緒に遠隔食事会などをする家庭も増えました。

新型コロナに感染すると、いったん入院したら面会もできず、亡くなっても火葬されて骨壺だけが帰ってくることもあって残酷でしたが、家族との別れが急に来るかもしれないという気持ちにつながり、親や祖父母と話す時間をつくろうという動きになれば幸いです。

しばしば「死に目に会いたい」といいますが、私は肉親の最期に会えるかよりも、元気なうちに十分に話したかどうかのほうが大事だと思います。

アメリカのブッシュ大統領(父)の夫人だったバーバラ・ブッシュが、こんな名言を残しています。「人生の終わりになったとき、テストに合格しなかったとか、裁判に負けたこと、取引をまとめられなかったことなどは、決して後悔しないでしょう」「夫や子供、友人、あるいは、親とともに過ごさなかった時間を後悔するのです」

今回のコロナ騒動、日本人家族らう時間価値再発見させたのならしいことです