勝海舟も住んでいた「入江町」
入江町は、正式には本所入江町と言った。現在の東京都墨田区緑四丁目である。
幕末に活躍した勝麟太郎(海舟)は、この地に天保元年(1830年)から弘化三年(1846年)の春まで住んでいた。八歳から二十四歳にかけてである。
そして、この地には「入江町」と呼ばれる岡場所があった。
勝海舟が、いかに猥雑な環境で育ったかがわかろう。
図1で、入江町の様子がわかる。
北長家・中長家・半長家・六尺長家と記されているのは、低級な長屋形式の切見世である。
越後屋・青柳・松葉屋・亀屋・春本と記されているのは女郎屋。揚代が昼間は六百文、夜間は四百文の四六見世だった。
切見世と四六見世しかないのだから、入江町は岡場所としては低級だった。
入江町は俗に「鐘撞堂(かねつきどう)」ともいった。近くに時を告げる鐘撞堂があったからである。
男のあいだでは、
「おい、鐘撞堂に行くか」
と言えば、すぐに女郎買いの誘いと通じた。
図1でも、女郎屋のすぐそばに鐘撞堂があるのがわかる。