〇第11回-内藤新宿(前編)-
内藤新宿と妙法寺
内藤新宿が男の歓楽街として繁栄した理由のひとつに、妙法寺がある。
明和(1764~72年)期から、日蓮宗妙法寺(東京都杉並区堀之内3丁目)の信仰が盛んになった。
図1に、妙法寺が描かれている。
妙法寺は「堀の内の御祖師さま」や、たんに「堀の内」とも呼ばれることが多かった。
病人のいる家では、堀の内(妙法寺)でもらった加持の符を壁や柱に貼り、回復を祈願する。これを「張護符(はりごふう)」と言った。
江戸の老若男女は行楽を兼ね、内藤新宿を経由して盛んに堀の内に参詣に出かけた。
ところが、男はかこつけが多かった。つまり、堀の内参詣にかこつけて出かけ、実際は内藤新宿で遊ぼうという算段である。
戯作『甲駅新話』(大田南畝:著/安永4年)に、参詣帰りの若い男ふたりが内藤新宿にさしかかる。
ひとりが、さそう。
「なんと、金公、どこぞへ、あがろうか」
金公と呼ばれた男は、親がうるさいので、
「堀の内に籠ったとも言われやすめえ」
と、女郎屋へ泊るのをためらう。
ところが、ひとりは、
「張護符せえ持って帰れば、親父はあやなせるわな」
と、親などいくらでも誤魔化せると、さそう。
けっきょく、ふたりは女郎屋に泊まる。