男3人で舟に乗り、尾花屋へ
仲町を舞台にした戯作は多数あるが、もっとも有名なのが『仕懸文庫』(山東京伝:著/寛政3年)であろう。同書は前編で紹介した図1に記された料理屋の尾花屋がモデルになっている。
〇江戸の男の歓楽街 第13回-仲町(前編)-
『仕懸文庫』のストーリーを紹介しながら、仲町の遊び方を見ていこう。
なお、図4に屋根舟を示した。三~四人くらいの客の乗船が可能だった。
初秋、三人の武士が船宿で屋根舟を雇い、仲町に向かう。
三十歳くらいの朝比奈は仲町でしばしば遊んでおり、二十代の十郎と団三郎の案内役だった。
舟は隅田川をくだり、永代橋の下をくぐり抜けたあと、大島川にはいった。やがて河岸場の桟橋に舟が着くと、あとは歩いて料理屋の「鶴が岡屋」(尾花屋のこと)に行く。
昼間から鶴が岡屋は大にぎわいだった。
二階の座敷に落ち着き、酒がまわったところで、女中のお秀が現われた。
「朝さん、よういらっしゃりました。もしえ、どういたしやしょうねえ。お鶴さんはお悪うござりやすよ。浜本(図1の山本のこと)に出ていなせえすとさ」
お鶴は、朝比奈の馴染みの遊女である。
「そりゃあ、覚悟の前だが、ここのふたりを働いてくだせえ」
朝比奈は、十郎と団十郎の相手を頼んだ。
座敷についてきた船頭が、そばから言う。
「おふたりは、ご初会だよ」
それを受け、別な女中が寄場に向かった。
寄場は、いわば遊女の管理事務所で、遊女があいているかどうか、料理屋はどこに出ているかなどがわかる。
戻ってきた女中が言った。
「ようよう働いて、お虎さんに、お団さんが来なせえす」
しばらくして、ふたりが座敷にやってきた。お虎は十七歳くらい、お団は二十歳くらいである。
組み合わせは、十郎とお虎、団三郎とお団と決まった。
幇間と芸者を呼んで酒宴となり、ひと騒ぎしていると、浜本を終えたお鶴がやってきた。これで、朝比奈の相手もそろい、いよいよ床入りである。
「もし、どなたも、あちらへ」
女中が、奥の寝床に案内する。心得ているため、幇間と芸者、船頭は、
「さようなら、ご機嫌よう」
と、引きあげる。
船頭は、鶴が岡屋の一階の船頭部屋で待機である。
三人が案内された八畳の座敷で、そこに三組の寝床を敷き、あいだは屏風で仕切っただけの割床だった。
こうして、鶴が岡屋の奥座敷で遊女と情交したあと、三人は富岡八幡宮の入相の鐘を聞きながら、ふたたび屋根舟に乗り、帰途につく。
図5で、割床の様子がよくわかろう。
左では、男が煙管をくゆらせながら、遊女が来るのを待っている。
遊そして、女が来るや、屏風で仕切られただけの寝床で、性行為が始まる。
なお、図6は芸者の寄場の光景である。
こうして待機しながら、料理屋から声がかかるのを待っていた。
『江戸の男の歓楽街』は次回8/19(水)更新予定です、お楽しみに!
深川の岡場所は、伏玉と呼出しという、独特の制度があった。
・伏玉(ふせだま)
客は女郎屋にあがり、そこで遊女と床入りする。この方式は、他の岡場所と同じと言ってよい。現在の風俗用語では、ハコモノに当たる。
・呼出し
客は料理屋にあがり、女郎屋から遊女を呼出す。酒や料理を楽しんだあと、料理屋の奥座敷で遊女と床入りする。現在の風俗用語ではデリヘルに相当するであろう。当然、伏玉よりも呼出しの方が高い物についた。だが、この呼出し制こそが、深川の料理屋が繁盛した理由だった。