寄席とモンティ・パイソンで育んだ「お笑い愛」

たしかに「オワコン」とされたお笑い芸人たちにとって、茂木さんの発言は唐突に発せられたように感じられたかもしれない。だが、茂木さんは物心ついたときから寄席(よせ)に通ってきた、お笑いのコアなファンでもある。

「僕は、昭和の名人たちに“間に合って”いるんです。子供のころに(名人といわれた)三遊亭圓生とか、(のちに人間国宝になる)5代目・柳家小さんを生で見ていて。漫才でいうと、昭和のいる・こいるさんとか、上沼恵美子さんが『海原千里・万里』として漫才をしていた当時も、寄席で見ています」

さらに小学5年生のときに、イギリスのコメディ集団「モンティ・パイソン」を知り、その面白さの虜(とりこ)となった。

「テレビ東京、当時は東京12チャンネルでしたが、そこでモンティ・パイソンの番組を翻訳して放映していたんです。(日本側が制作したパートには)タモリさんが『4ヵ国マージャン』をやったりしていて。衝撃でした。すごく楽しかったんです」

寄席では、落語のマクラ(冒頭の小話)や漫才に、時事ネタや政治批判がたびたび織り交ぜられる。またモンティ・パイソンのコントには、政治家のみならずイギリス王室を茶化すものが多くあった。

茂木さんのそうしたバックボーンと、日本のお笑い界に対する「なんでTVで時事ネタをやらないんだろう」「もったいない」という思いが、冒頭のツイートにつながった。

だが、茂木さんは当時を振り返って「僕がもうちょっと利口だったら『日本のお笑いはオワコン』だなんて言わなかっただろうな。(Twitterの)140字では伝わらないということを前提に、表現を練るのが大人なんですよね」という。この事件以来、TV番組、特にお笑い番組から「ハブられている(のけ者にされている)」ように感じているからだ。

「自分を理解するっていうのが、人間一番難しい」と茂木さん。

「思えば、中学ぐらいのときからずっと『すべって』たんですよね」。今でも当時の記憶が鮮明に残っているという。

「当時、新聞に載っている川柳の欄を切り取って集めてたんですよ。政治を笑ったり揶揄(やゆ)したりするコーナーで。僕、それを落としたらしくて、掃除の時間に女子が見つけちゃったんですね。『茂木くん、こんなの読んでるー!』ってクラスじゅうにバラされて。すごく恥ずかしかったんです」

その頃から社会の中での立ち位置は全然変わっていない、と茂木さんは笑った。

「松本さんとか有吉(弘行)さんは、いつも教室の真ん中にいて、すごく人気がある人たち(だとすれば)僕は教室の隅で自分の世界にいる。『あいつの言ってることは、分かんないんだよな』みたいな。ただ、言っておきたいのは、僕みたいに微妙な立ち位置の人にも、ちゃんと生きる道があるよってこと。こんなにずーっと『はずして』いる男でも」

▲「教室の隅で自分の世界にいる」タイプと自らを評する