強引な習近平政権に反発したのが「雨傘運動」

こうして香港人たちが危機感に目覚め始めたその矢先、胡錦涛政権から習近平政権に権力が禅譲されます。この習近平政権は、胡錦涛政権ほど慎重ではなく、実にあからさまに、直接的に「香港の中国化」を恐ろしいスピードで、強引に進めようとするのでした。

そのひとつが、胡錦涛政権が香港人を従順にさせるために鼻先にぶら下げていた「2017年の行政長官選挙で、普通選挙が導入されるかもしれない」という期待を完全に潰したことでした。

2014年8月31日に中国の全人代(全国人民代表大会)は、一人一票の普通選挙を導入するにあたり「行政長官候補は、指名委員会の過半数の支持が必要であり、候補は2~3人に限定する」と決定しました。

つまり、中国共産党のいいなりである候補者を、先に指名委員会が選び、それを香港有権者が投票するということで、結局は中国共産党の傀儡以外の行政長官を選べない仕組みを“普通選挙”と名付けて、香港人を納得させようとしたのでした。

この中国のやり方に納得のいかない若者たちが、俗にいう2014年の「雨傘運動」を起こすわけです。

▲2014年の雨傘運動 出典:ウィキメディア・コモンズ

世界に発信された香港警察と若者たちの攻防

9月26日から学生たちは授業をボイコットし、街に抗議デモに出るようになりました。デモは次第に拡大し、やがて2011年に学民思潮が行い成功した、政府庁舎前広場の座り込み占拠の再現、という形に発展していきました。

そして同月27日未明、香港警察は若者たちに向かって催涙弾を撃ち込み、強制排除に乗り出します。80発以上の催涙弾を受けながら、若者たちが色とりどりの雨傘でよけながら抵抗する姿が全世界に発信されました。

これに追随する形で、香港大学法律学部の副教授だった戴耀廷(たいようてい/ベニー・タイ)、社会学部教授だった陳健民、牧師の朱耀明らが、翌28日に「オキュパイセントラル」、つまり「金融街占拠」を呼び掛けます。79日に及ぶ香港各地での公道占拠による抵抗運動・雨傘運動(雨傘革命)が始まったのです。

雨傘運動の展開については、拙著『SEALDsと東アジア若者デモってなんだ!』(イースト・プレス)にまとめてあるので、ここでは詳細は述べません。

私はテレビで、香港の若者たちが雨風を避けるためのか弱い雨傘で、フル装備の警官隊から打ち放たれる催涙ガスに抵抗している様子を見て、いてもたってもいられなくなり、9月30日には香港入りしていました。

あの夜に見た、何十万ものスマートフォンの光のウェーブや、若者たちと一緒にアスファルトの上に寝ころびながら見た月の美しさを、今も思い出すことがあります。

この雨傘運動の取材過程で出会った、ウインタス・タムらセルフメディアの若者たちとは、その後もずっと交流を温め合い、2019年の「反送中デモ」取材でもタッグを組みました。

結果から言えば、この運動は「普通選挙の実施」という目的を達成できず、いたずらに長期化したことで香港社会の疲弊を生み、求心力を保てずに収束する形になりました。多くの人たちが運動は挫折したととらえています。

ですが、このときに目覚めた香港市民の中国共産党への警戒感、反感や嫌悪感は、その後も彼らの心の中にくすぶり続けることになりました。そして、それはいつ弾けてもおかしくないくらいに大きくなっていったのです。


※本記事は、福島香織:著『新型コロナ、香港、台湾、世界は習近平を許さない』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。