2008年「香港は、もはや中国の一部になった」
2008年3月にチベットのラサで、チベット人の抵抗と弾圧事件が起き、フランスや米国など西側諸国の人権団体は「中国・北京に五輪ホストの資格があるのか!?」と批判していました。このため、聖火リレーは世界各地で、人権団体からの抗議を受け、それに対抗する中国人留学生との衝突事件も起きていました。
ですが、5月に中国領土内の最初の地として、香港で聖火リレーが行われたときは、さしたる妨害もなく、会場は五星紅旗と香港旗で真っ赤に染まり、おおいに盛り上がりました。この光景に「香港は、もはや中国の一部になった」と世界の人たちが感じたと思います。
香港人の中華アイデンティティ、つまり中国を中心とする中華民族の一員であるという意識は、おそらく2010年に中国が日本を抜いて世界第2位の経済大国になったあたりがピークであったと思います。
この頃、香港に行くと、中国人が上客として尖沙咀(チムサーチョイ)や、銅鑼湾(トンローワン)の高級ショッピングモールを闊歩していました。
私は、ペニンシュラホテルのショッピングモールにある高級ブランドのゴヤールの店で、中国人男性が棚を指さして「全部くれ」と言うのを見たことがあります。香港人の店員は流暢な普通話を使い、とてもへりくだった様子で中国人客に応対していました。
2012年頃の香港人の中華意識は、中国人に代わって尖閣諸島に上陸するまでになっていました。香港保釣行動委員会〔魚釣島=尖閣諸島を中国の領土として防衛するための民間団体〕は、中国と台湾の旗を香港旗とともに掲げて尖閣諸島に上陸、沖縄県警に不法上陸で現行犯逮捕され強制送還されました。
ちなみに、こうした香港の活動家には、民主派の活動家も含まれていました。
つまり民主派人士を含めて、香港人は中国・台湾とともに中華民族の一員だという意識があり、中国人が自由に表現できないぶん、表現の自由を有する香港人が中華民族の一員として、魚釣島の領有を主張するのだという趣旨の説明を、当時、保釣行動委員会の顧問で、香港人の尖閣上陸活動に資金援助していた実業家・劉熊夢から聞いたことがあります。
もっとも、劉熊夢のこういった主張は、2014年の普通選挙を求める香港の若者たちによる公道占拠運動・雨傘運動以降、大きく変わります。雨傘運動以降、彼は尖閣上陸活動の支持をやめて、中国への抵抗感と日本への親近感を強調するようになっていました。
胡錦涛政権の「黙って経済的に香港を飲み込む」方法は、確実に香港を内側から浸食し、脅しも何も必要なく、自然に香港は中国に同化していくと思われていました。
愛国国民教育に抵抗した90年代生まれの学生たち
ですが、こうした経済を通じて同化させていく胡錦涛政権のやり方が、あまり効かない人たちがいました。経済活動にまだ参与していない、無垢な90年代生まれの10代の学生たちです。
胡錦涛政権末期、政権は最後の仕上げとばかりに、香港で愛国国民教育の義務教育化を2012年9月までに実現し、3年後に全面導入を実現しようとします。これに香港のティーンエイジャーたちが猛烈に抵抗しました。
この国民教育科の授業には「中国共産党が進歩的で無私で団結している」だとか「中国共産党が、いかに苦難の近現代史を乗り越えてきたのか」とか「米国は政党間の争いが激しくて人民が苦しんでいる」といった、明らかな噓の内容が盛り込まれているのですが、頭のいい香港の学生たちはこれを「洗脳教育だ」と喝破しました。
2011年5月、国民教育の義務化に抵抗する組織として「学民思潮 反道徳国民教育科聯盟」が黄之鋒(こうしほう/ジョシュア・ウォン)、林朗彦らによって結成され、2012年3月以降、デモやハンガーストライキ、公共広場の占拠などを通じて、この国民教育科導入の3年延長を訴える運動を展開しました。