平和デモ派と勇武派が一致して掲げた「五大訴求」

“暴徒”とレッテルを張られ、仲間を逮捕され、多くの負傷者を出し、犠牲者まで出したデモサイドとしては、ここで香港政府の多少の譲歩に納得するわけにはいきませんでした。

6月16日の週末、再び大規模デモが呼び掛けられました。このときのデモは200万人を超えるものでした。これはのちに「200万人+1人」デモと呼ばれました。“+1人”というのは、自殺をした梁凌杰の魂を参加者の数にカウントしているという意味です。

デモ主催者の民陣線が“+1人”の数字を発表したのは、すでにこの“戦い”に犠牲者が出ていること、その犠牲者のためにも勢いが増しつつある運動を、簡単には終わらせないという意志を示したからでした。

林鄭月娥は16日に「政府として足りないところがあった。香港社会に矛盾と紛争をもたらし、多くの市民を失望させ、悲しませたことを、ここに謝罪します」と全面降伏に等しい謝罪コメントを発表しました。ですが、香港市民の4人に1人が参加する、この空前の大規模デモが要求するのは、もはやは条例改正案撤回だけではなくなっていました。それはやがて、5つの要求に拡大していたのです。

「五大訴求」と呼ばれるデモ側が掲げる要求は、次の5つでした。

  1. 逃亡条例改正案の撤回(2019年10月23日に正式撤回)
  2. 6月12日にデモを暴動と呼んだことの撤回
  3. 拘束、起訴されているデモ参加者の釈放
  4. 香港警察に対する独立調査委員会の設置と、その職権乱用に対する徹底追及
  5. 林鄭月娥の辞任と普通選挙の実施

このすべての要求が認められるまで、運動を続けるという点で、平和デモ派も勇武派も意見は一致していました。

この「五大訴求一欠不可」という山の頂を目指して、平和デモ派でも勇武派でも、その他の方法でもいいから、それぞれのやり方で運動を続けていこう、という香港市民としての総意が、6月下旬にはおおよそ形成されていました。

雨傘運動のときは、平和デモ派と勇武派が双方のやり方を批判し合って、運動の結束力が維持できない、という面もありましたが、そのときの反省を踏まえて、この「反送中デモ」のやり方については、自分たちが支持していなくても、表だって批判をしないという暗黙の了解ができていました。

真実を探る香港セルフメディアの記者たち

2019年6月9日、12日、16日の香港のデモについての情報を、私は東京でインターネットなどを通じて見ていました。そのころは書籍の翻訳などの仕事を抱えていましたし、体力的にも時間的にも香港に行く余裕がありませんでした。

ですが、香港にいる友人たちからは、毎日のようにさまざまな情報が寄せられており、心配でたまりませんでした。

友人たちのうちでも、ウインタス、フランキー、ボノ、キドといった若いセルフメディアの記者たちは、雨傘運動の取材で知り合って以来、何かあるたびに私の代わりに現場に行き、取材内容の裏を取り、情報を提供してくれる協力関係にありました。私も彼らが日本で取材する必要があるときは、取材アレンジをしたり、大手メディアと結びつけたりしてきました。

セルフメディアという概念は、日本人にはピンとこないかもしれません。市民メディアというと、なんか胡散臭く感じる人もいらっしゃるでしょう。

ですが、中国や香港では、大手既存メディアは、中国共産党の宣伝機関であり、本当の情報を報じずに、隠蔽に加担したりフェイクニュースを流すものとして、あまり信用されていません。むしろ、SNSで信頼できる友人たちの間で交換される情報の方が信用されるのです。

▲香港ではセルフメディアの方が信頼されている イメージ:PIXTA

セルフメディアは、特に資格が必要なものではありませんが、写真や映像を独学で勉強していたり、大学のメディア学科で学んでいたりしていて、メディアに興味のある人がテレグラムやフェイスブックなどのSNSや、YouTubeなどの動画サイトを使って発信しています。

そのなかには欧米メディアのアシスタントをやったり、香港の記者と連携し情報交換したりする人もいます。香港や中国のような報道統制の厳しい地域では、こうしたセルフメディアの人たちが、かなり深い情報を持っていたりします。

私は香港のセルフメディアの友人たちの現場取材のおかげで、東京にいながらにして、かなり生々しい情報を入手することができていました。ですが、7月1日に、ちょっと肝を冷やすような出来事がありました。

香港デモ隊による立法会占拠事件です。