平和デモ後、立法会を包囲した勇武派の若者たち

香港が、英国から中国にハンドオーバーされて22年目の2019年7月1日に「反送中」デモが行われました。

平日にもかかわらず、参加者は主催者発表で55万人。「200万人+1人」デモを経験したあとでは、少ないと思う人がいるかもしれませんが、2003年「反国家安全条例」の51万人デモを超える規模で、猛暑の香港でこれだけの人出があったことは、このデモがまだまだ続くことを示唆していました。

この平和デモが無事終了したあと、またもや勇武派の若者が解散せずに、立法会周辺を包囲し始めました。7月1日午後2時ごろから2日未明にかけて、テレグラムなどのSNSで連携した数万人の市民が、立法会の周辺に集まりました。そして、群衆はやがて立法会のガラスを割って侵入、議場などを占拠したのです。

▲立法会占拠事件 出典:ウィキメディア・コモンズ

私は動画サイトで、黒服にマスクやヘルメット姿の若者たちが、ショッピングカートや鉄棒を使って強化ガラスを破壊し、金属シャッターをこじ開け、力づくで立法会に侵入していく様子を見ていました。

さすがにこれはやりすぎではないか、暴力ではないか、という意見がネットでも流れていました。EUのスポークスマンは「今日、立法会に力づくで押し入った少数の者たちは、平和デモを成功させた大多数のデモ隊を代表していない」と非難していました。

私は、こうした行為が、香港警察の暴力によるデモ鎮圧を正当化する口実となるのではないかと、動画サイトを見ていてハラハラしました。さらに、セルフメディアの友人、ウインタスが勇武派のデモ隊とともに立法会に入ったと聞いて、びっくりです。

私は彼に、写真や情報の提供を求めていたので、ひょっとして私のために「よい写真を撮りたい」と思って、危険な現場に乗り込んだのではないか、と責任を感じました。チャットで「危険だからすぐに出るように」と訴えましたが、彼は「警察が踏み込んでくるまでは現場にいる」と言い張ります。「僕、メディアですから!」と。

ウインタスたちは、香港の若者として、メディア人として、最前線で取材しなければならないという覚悟を持っていました。私のような外国人とは、やはり心持ちが違っていたのです。

香港警察は「合理的な力を使って」立法会を占拠していたデモ隊を排除することを警告しており、出入り口が2つしかない立法会を占拠しているデモ隊は、袋の鼠状態になっていました。

ここに踏み込まれたら、メディアであろうがデモ隊であろうが、どんな暴力にあうか分かりません。彼らが負傷して入院した場合、あるいは逮捕されて保釈金や弁護士が必要な場合、それにかかるさまざまな費用や手続き支援なども念頭におきながら「現場に行かなきゃ」と思い、その場からネットで、7月2日夜の香港行きの飛行機のチケットを取りました。

デモ隊が「立法会」にこだわった理由

結果的には、警察が立法会に踏み込む前に、デモ隊は自主的に撤退。警官隊は立法会周辺のデモ隊を、催涙ガスなどを使って排除しました。むしろ負傷者は立法会周辺ででました。この騒動による負傷者は60人以上に及び、3人以上が重傷を負いました。私の脳裏をよぎった最悪の事態、つまり天安門事件のような犠牲者を伴う鎮圧はなんとか避けられたのでした。

▲催涙ガスの準備をする警官 出典:ウィキメディア・コモンズ

でも、飛行機チケットはキャンセルできないので、翌3日早朝に、私は香港に入りました。反送中デモが始まって以降で、私が香港入りしたのはこれが最初でした。

デモ隊はなぜ立法会に押し入ったのでしょう。「鉄パイプで立法会の強化ガラスを叩き割る、暴力的なデモ隊の姿が全世界に発信されれば、これまでの平和デモに共感していた国際世論の支持が離れてしまうかもしれないのではないか」と、現場をよく知るウインタスに尋ねました。

立法会にいて、一部始終を目撃していたウインタスは、私の懸念を完全に否定しました。最終的には100人前後が入り、立法会を占拠しましたが、そのうちの7割はセルフメディアを含めたメディアだったそうです。

20代から30代の若者たちが中心で、その行動は合理的であったと言います。30日の夜に、台湾のひまわり学生運動〔2014年に、中台のサービス貿易協定を阻止しようとして台湾立法院を占拠した学生運動〕を参考に、立法会を占拠しようというアイデアが話し合われ、7月1日にその場に集まったメンバーで決行したそうです。

警察が“踏み込む”と予告したあとでも、最後まで残って戦うと言っていた若者もいたようですが、周りの仲間が説得して、最終的には自主的に全員撤退したのでした。

ウインタスは彼らに同情的で、香港政府の暴政が先にあり、立法会はそういう香港政府の悪政の象徴の施設だった。デモ隊の破壊活動の対象は、あくまで暴政の象徴に限られており、内部では略奪もなく、仲間同士でモノをできるだけ破損しないよう、抑制するように声を掛け合っていた、と説明しました。

別の若い友人も「確かに、デモ隊は石灰爆弾〔石灰の粉を袋詰めしたもの〕を投げたが、一発だけだ」と擁護していました。警察のペッパースプレーに抵抗するためには石灰爆弾を用意するぐらいいいじゃないか、というニュアンスでした。おそらく、こういう意見は、ウインタスらに限らず、香港の若者の一般的感覚なのでしょう。

※本記事は、福島香織:著『新型コロナ、香港、台湾、世界は習近平を許さない』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。