この事件を機に平和デモ派から勇武派に転換した

福島:彼らは、そういう道徳的一線を自分たちで決めたのでしょうか?

 :たぶん、自分たちで決めたんでしょう。ある若者が文化財を破壊しようとして、その場でやっぱりやめようと、判断したのを見かけました。

▲占拠された立法会のロビー 出典:ウィキメディア・コモンズ

福島:破壊の様子の映像を見ました。窓ガラスやテレビ画面、監視カメラを壊していましたね。彼らのなかには壊すべきものと壊してはならないもの、という明確な区別があったんですね。

 :そう。図書や絵画や文化物などは、傷つけないようにしていました。また自分たちは泥棒じゃない、抗議者だということで、略奪行為は絶対していません。

福島:立法会を占拠しようなんてアイデアは、いつごろ出てきたんでしょうか?

 :私も、はっきりとは知らないんです。でも、6月30日の夜に決めたと聞いています。

福島:中国から入ってきたチンピラや黒社会メンバーが煽動した、という見方もあるようですが。

 :私は、黒社会が煽動したかどうか、ということについてはあまり関心がありません。確かに、一部奇妙な奴らはいました。けれど、あの日の行動は、若者たちが自分たちで決めたことでしょう。

福島:立法会占拠という行動に関しては、香港市民の大部分はどう思っているでしょう。支持しているのでしょうか?

 :評価は極端に分かれています。これまでずうっと、そういうやり方に反対している人を説得するのは難しいでしょう。ただ、今は行動者の心情を理解し、同情はしています。また、私自身は、これを若さゆえの問題、年齢の問題だとは思っていない。今回の立法会突入を決めた人たちは、比較的年齢が上の人たちだと聞いています。

そもそも彼らは、大衆の支持を得られるかどうかを考えて、行動したのではありません。今まで彼らはいろいろなやり方、例えば、穏やかで文明的なデモや願いを訴えるやり方で行動してきました。ですが、それらはすべて効果がなかった。だから、次の段階の行動に出たということです。暴力的なやり方にずっと反対していた一部の人たちも、実際には彼らの行動に対しては、一定の理解と同情を示しています。

福島:彼らが立法会に突入するとき、玄関の強化ガラスを割るのに非常にてこずって、2時間近くかかっているのに、警察はそれを止めなかったといった指摘があります。つまり、警官は占拠計画を事前に知っていて、それを止めることをせず、むしろあえてデモ隊に、立法会を占拠させるように誘導したのではないか。立法会占拠自体が、警察の罠であったのではないか、という見方があります。これについてはどうですか?

 :私の理解では、彼らの立法会占拠を、香港政府としてどのように処理するかを、まだ決めていなかっただけではないでしょうか。だから、警察は命令が下るまでは、待機するしかなかったのでしょう。

福島:鄭議員は、もし行動前にあの状況を予測できたら、デモ隊の行動を止めようと思いましたか? 民主派議員のなかには、彼らを止めようとして押し倒されて怪我をした人もいます。

 :止めようとは思わなかったでしょう。実際、私は7月1日の早朝には、彼らが立法会占拠という行動に出ると決定したということを、ひとづてに知っていましたし、そういうアイデアを、6月30日の夜に話し合っていることも知っていました。彼らが自分たちで考え、決定したことであり、私がどうこう言ったとしても、影響を与えることはできないと思いました。

福島:あなた自身は、立法会占拠は意義のある方法だと思いましたか?

 :立法会占拠という行動は、香港で初めて行われました。デモ隊は、自主的にそう決定して行動しました。私はデモ隊の立場を代表して何かを言うことも、何を勝ち取ったかとか、その意義について語ることもできません。ただ、これは強いメッセージを発した象徴的な出来事だと思います。政府に対して「やられっぱなしではない」という、デモ隊の覚悟を見せつけました。血が流れ、自殺者も出ているなかで、政府の権力の象徴的建物を占拠したことは、ひとつの大きな“現状突破”であったと思います。

鄭松泰は、現役議員のなかでおそらく一番、デモ参加の若者と感性が近いでしょう。立法会の施設はかなり破壊され、その修復には6000万香港ドルかかると報じられていました。

その後、実際に勇武派デモのコアメンバーたちと意見交換する機会がありましたが、このとき、彼らは「市民を傷つけない」「テロ行為をしない」「独立宣言をしない」の3つを守るデモであれば、香港市民の支持と国際社会の理解を得られ続ける、と主張していました。

この立法会占拠は、平和デモ派から勇武派に運動の中心が転換していくキッカケとなる、ひとつの象徴的事件であったと思います。