事件直前に議員とマフィアが一緒に食事をしていた
この事件で実に不可解なのが警察の対応です。私が人伝に調べてもらったところでは、21日の早朝、元朗区議の麥業成(まいぎょうせい/ジョニー・マック)は、元朗の黒社会が金で請け負って雇われて「反送中デモ」の報復に出る可能性がある、との情報を得て警察に連絡していました。すると警察側は「すでに対応のための配置を整えている」と答えたそうです。
麥業成は日本語も使える日本通で、反共・民主派の立場を比較的鮮明にしている人物です。香港で唯一といっていい台湾政界ともコネをもっていて、私は信頼しています。
20日、元朗のとあるホテルで、地元マフィアが襲撃参加者の募集をかけている、という噂が流れていたことも確認されました。麥業成の証言が正しければ、警察はこの夜の襲撃を事前に知っていたはずなのに、現場への到着は白シャツ軍団の襲撃が終わったあとでした。
元朗駅に最初にやってきた警官2人は、白シャツの男がこん棒を持っているのを確認しながら何もしませんでした。警察側の言い分は、2人の警官は装備が不足していて、白シャツ軍団を止めることができず、35分後に支援部隊が到着するまで待機していた、ということですが、納得できる説明ではありません。
警察側は出動が遅れたのは、上環の中聯弁前での官民衝突に、警察の人手が取られて人員不足であったこと。この夜に元朗区で、火事と3件の喧嘩の通報が同時にあったことを理由としていました。あたかも「お前らデモ隊のせい」と言わんばかりです。
一応、白シャツ側の24~54歳の男6人を現場で、違法集会容疑で逮捕した、と発表していますが、どう考えても殺人未遂、傷害罪の現行犯逮捕であるべきではないでしょうか。
警察の調べでは、この逮捕された6人は「三合会=マフィア」関係者で、14K及び和勝和と呼ばれる団体の構成員だとのこと。香港警察と香港マフィア、三合会が癒着しているというのは、香港映画の世界だけの話ではなかったのです。警察、立法会議員の何君堯、三合会は癒着していたと考えられています。
何君堯は警察官僚の家庭に生まれ、香港警察とは親密な間柄です。また、香港青年関愛協会の名誉会長を務めていますが、この組織は中国の中央政法委員会、つまり中国公安組織を統括する委員会の支援を受けており、何君堯は有り体に言ってしまえば、中国公安警察と香港警察をつなぐ、中国系暴力装置の代表人みたいな立ち位置にいる人物でした。
何君堯が事件直前、三合会メンバーと食事をしていたという目撃証言がありますが、これに対し、彼は「一緒に飯を食っていただけだ」と事件の関与を否定しています。でも、議員とマフィアが一緒に食事をしていたら、日本なら大問題です。
その後、何君堯は両親の墓が荒らされたり、事務所が何者かに破壊されたり、嫌がらせを受けています。その背景には、支払われるべき三合会への金をケチったので、マフィアに報復されたのではないか、といった噂も流れました。
しばらくして韓国メディアKBSが、警察内部の匿名告発者の情報として、この事件は、香港上層部が関与していると報じています。この事件以降、香港人のほとんどが、香港警察はマフィア、中国公安と癒着し、市民の敵となったという認識に至りました。
国際社会にデモ隊の“暴力”を発信した空港占拠事件
8月に入り、香港デモのステージは、アジアのハブ空港である香港国際空港に移りました。7月下旬から香港も学校が休みに入り、機動力がアップしたこと、国際社会に香港デモの主張を訴えるには、国際社会の窓口である国際空港が効果的であること、それから香港の真夏があまりにも暑いので、空港内の涼しいところで抗議するのがちょうどよかった、などの背景がありました。
7月26日に空港職員によるストライキがありました。続いて、8月5日にはゼネストが呼び掛けられ、空港も200便が運休になりました。さらに8月9日からは3日間にわたる「万人接機(みんなで飛行機を迎えよう)」集会が呼び掛けられ、デモ集会の許可を得ないまま数千人が空港構内で座り込みデモを行いました。
その3日間の座り込みデモは、各国言語でデモ隊の主張を掲げて座り込む比較的穏当なものでしたが、その運動の最終日の11日、尖沙咀(チムサーチョイ)で行われた野外デモで、女性が至近距離でビーンバック弾に撃たれ、右目が失明する事件が発生しました。
この女性はボランティア救急隊員で、デモ参加者ではありません。香港警察はこのときすでに、デモ隊だけでなく、メディアやボランティア救急隊に対しても容赦のない暴力を振るっていました。いや、むしろ無防備で警察に反撃しないメディアや医療関係者をターゲットにする傾向がありました。
この女性ボランティア救急隊員が右目を失明する事件を受けて、市民の怒りが拡大。11日に終わるはずであった空港抗議集会は12日以降も継続しました。空港サイドは12日に、搭乗手続きに支障が出たとして飛行機の離発着を制限、13日も全便欠航措置をとりました。
12~13日の2日間、併せて600便前後の運行がキャンセルとなりました。航空機の離発着が取り消され、再開の目途が立たないことで、搭乗できない疲弊した旅客が空港構内にあふれました。香港政府及び空港側は、こうした混乱はデモ隊のせいと非難しましたが、出入国の旅客に対してメッセージを掲げるだけのデモを理由に、全便欠航措置をとる必要はなかったと、空港の対応を非難する声も聞かれました。
13日は空港で待機している旅客に対し、デモ参加者が飲料を配りながら、理解を求める姿も見られました。
ですが13日深夜、武装した香港警察数十人が、“負傷した旅客”の救出を目的に、空港内に突入したのです。ペッパースプレーや警棒を振るう警察と、荷物用カートで対抗するデモ隊が激しく衝突する混乱も発生。この混乱は、ボイス・オブ・アメリカ(VOA)がライブで中継していましたが、14日未明まで続いていました。
このデモ隊と警察の衝突を引き起こした“負傷した旅客”とは、立場新聞などの報道によれば、中国から来た私服公安警察のようです。13日夜7時ごろ、深圳から香港空港に到着した男性客が、座り込むデモ隊と言い争い、躓いた拍子に、バックパックからこん棒が出てきたことから、デモ隊が男性客の財布を調べたところ、深圳公安の身分証明書が発見されました。
デモ隊は男性客を取り囲み、カートに縛り付けるなどの暴行を働いたわけです。この男性は数時間後、警官隊とともにやって来た救急隊員によって救出され、救急車で搬送されました。
また、人民日報傘下の環球時報ウェブサイト版記者・付国豪がデモ隊に紛れて取材中、香港警察支持のTシャツを持っていたことがみつかり、デモ隊に囲まれ、暴行され拘束されました。付国豪が「私は香港を愛している。香港警察を支持している。殴ればいい」と挑発すると、カートにくくりつけられました。
付国豪はその後、警察と救急隊員に救出され、その後も取材を続行しました。暴行を働いたデモ隊は、当初、付国豪をニセの記者だと思っていたようですが、結果的に「取材記者を妨害する香港のデモ隊」というイメージが、国際社会に発信されました。この空港内の衝突事件は、国際社会にデモ隊の暴力のエスカレートを印象付ける事件となってしまいました。