理工大学の抵抗者たちに対して実弾使用許可

理工大学の抵抗は11月17日から激化しました。

17日夜、警察は漆咸道南(チャタムロード)から装甲車や高圧放水車を使って、抵抗者たちの封鎖を突破して学内に侵入しようとしましたが、彼らは大量の火炎瓶を投げつけ、装甲車が燃え上がる事態になりました。

18日に警察は再び学内に突入、抵抗者たちは火炎瓶やボウガンで抵抗し、この衝突で多数の負傷者や逮捕者が出ました。

香港警察側は理工大学の抵抗者たちに対して、LRADと呼ばれる音響兵器を初めて持ち出した他、AR−15式アサルトライフルやMP−5サブマシンガンを携帯し、実弾使用許可も出ていました。

17日昼から大学内で取材をしていたセルフメディアの友人ボノによれば、夜になって警察は理工大学のすべての入り口を包囲し封鎖、抵抗者や記者たちは中に閉じ込められるかっこうになりました。

この大学は九龍半島の紅磡(こうかん/ホンハム)湾に近いところにある東洋有数の理工大学で、中文大学と違い比較的狭く、都市部にあるので警察にとっては包囲がしやすかったのです。

▲香港理工大学校門につくられたバリケード 出典:ウィキメディア・コモンズ

投降の呼び掛けに応じて出てきた者は、無差別に逮捕され、激しい暴行を受ける者もありました。ボノは自分が逮捕されかねない状況に陥って、東京にいる私にも、彼のSOSが伝えられました。

彼によれば、手製のボウガンや火炎瓶で応戦しようとする抵抗者たちに、警察は「実弾をもって反撃する」と警告していたそうです。

そのあと、投降して出てくるようにとの呼び掛けに応じて、一部の若者が武器を捨て指定された入り口から出ると、すでに無抵抗なのにもかかわらず地面に押し倒され、殴る蹴るなどの激しい暴行を受けました。顔を蹴られる者もいたそうです。

セルフメディアや医療ボランティアまでが、そうした暴行を受けたうえで問答無用で逮捕されていきました。

「選択肢は2つ」セルフメディア記者の覚悟

この様子を見て、投降したくとも怖くて抵抗者たちは投降できなくなったそうです。逮捕されたあと、拘置所での性暴力を含む暴行や虐待にあうとも言われていましたから、その恐怖は理解できました。

彼は言います。いっそ瀕死の重傷を負った方がいい、と。瀕死の重傷なら病院に運ばれるだけです。ですが、逮捕されて拘置所に連れていかれると、そのまま行方不明になって、ひどい虐待と暴行を受けて最後には身元不明の自殺体になってしまうかもしれない、と。

日本では、抵抗者たちが大学に立てこもり籠城戦を行っているように報じられていましたが、実際は、彼らはキャンパス内に閉じ込められ心理戦でいたぶられていたのです。

ボノは閉じ込められた学内からSNSでこう訴えていました。「選択肢は2つしかない。投降して暴行されて逮捕されるか、キャンパス内で警察の突入を待って暴行されて逮捕されるか」。

私は友人のセルフメディア記者たちに、仕事を手伝ってもらっている代わりに、日本のCSテレビ局『チャンネル桜』の協力を得てプレスカードを渡していました。日本メディアのプレスカードがあれば、警察に捕まったとき、日本メディア記者として釈放してもらえるかもしれないと思ったからです。

「日本のメディア関係者に、香港警察は手を出せるのか?」と私が聞くと「公認メディアでないとニセメディアとして逮捕される。実際、キャンパスメディアやセルフメディア記者が何人も逮捕されている」とボノは答えました。「警察が、そんなメディアなど知らない、といえばそれで終わりだ」と。

結局、私は「近くにAP・ロイター・共同といった大手メディアの記者がいれば、彼らと行動を共にして。いざとなったら、彼らの助手だと証言してもらうように頼みなさい」としかアドバイスできませんでした。

この後、ボノくんはヘルメットにつけたゴープロ(アクションカメラ)を回しながら、キャンパス内を取材し、紆余曲折を経て無事に警察の包囲網を突破して、19日に私たちの元に帰ってくるのですが、それまでは本当に心配で気が気ではありませんでした。

私は11月22日に香港デモ開始から4回目の現地取材に入り、23日夜にボノの無事な姿に会えて、本当にほっとしました。