上皇陛下が語ってきた「象徴」の意味
上皇陛下が、日本国憲法に触れた御発言を追っていくと、重要な点があることに気づく。
それは、日本国憲法第一条にある「日本国及び日本国民の象徴」ということをおっしゃっていることだ。
「象徴」についての御言及は、ただ字面だけを見たら日本国憲法の条文の引用で、それ以上のものではないように思えるかもしれない。「天皇陛下は護憲の天皇だ」という主張も、上皇陛下のこうした御発言に着目したものだ。
だが「天皇が国民統合の象徴である」という言葉で、上皇陛下が表現されているのは、日本国憲法制定時に突然新たに出てきた概念ではない。長い皇室の歴史に基づいた本来的な皇室のあり方として「象徴」という言葉を使われているのである。「今後のあるべき皇室の姿についてのお考えを」という記者の質問に対し、こう答えられている。
憲法で天皇は象徴と決められたあり方は、日本の歴史に照らしても非常にふさわしい行き方と感じています。やはり昔の天皇も国民の悲しみをともに味わうように過ごされてきたわけです。象徴のあり方はそういうものではないかと感じています。
[昭和58年12月20日、50歳のお誕生日前御会見より]
政治から離れた立場で国民の苦しみに心を寄せたという過去の天皇の話は、象徴という言葉で現すのに最もふさわしいあり方ではないかと思っています。私も日本の皇室のあり方としては、そのようなものでありたいと思っています。
[昭和59年4月6日、御結婚25周年を機に]
天皇が直接、権力闘争としての「政治」に関わるのではなく、福沢諭吉の言うように「政治社外」のものとして国民の苦しみや悲しみをともにする――上皇陛下は一貫して「象徴」の意味をこう語られている。
天皇が国民の象徴であるというあり方が、理想的だと思います。天皇は政治を動かす立場にはなく、伝統的に国民と苦楽をともにするという精神的立場に立っています。
このことは、疫病の流行や飢饉に当たって、民生の安定を祈念する嵯峨天皇以来の天皇の写経の精神や、また「朕、民の父母と為りて徳覆うこと能わず。甚だ自ら痛む」という後奈良天皇の写経の奥書などによっても表されていると思います。
[「読売新聞」昭和61年5月26日朝刊、同新聞への文書回答より]
つまり上皇陛下は「国家及び国民統合の象徴」という日本国憲法条文の文言に対して、皇太子時代から繰り返し、日本の歴史と皇室の伝統に基づく解釈を打ち出して来られたのである。
※本記事は、江崎道朗:著『天皇家 百五十年の戦い』(ビジネス社:刊)より一部を抜粋編集したものです。