職を失った芸者が深川から柳橋へ

江戸時代の後期、柳橋の雰囲気が変わり始める。

というのも、それまで柳橋はにぎわってはいたものの、遊里ではないので女郎屋(妓楼)はなかったし、遊女もいなかった。

ところが、天保十二年(1841年)から断行された天保の改革で、江戸の岡場所はすべて取り潰された。それまで繁栄を謳歌していた深川も、たちまち閑古鳥が鳴く寂しさとなった。

そのため、職を失った深川の芸者が大挙して、柳橋に鞍替えしてきたのである。

深川の芸者は転ぶ、つまり客と寝て金をもらうのは常識だった。

柳橋に移ってきてからも、その習性は変わらない。柳橋には遊女はいなかったが、芸者がその役割を果たすようになったのである。

かくして、柳橋は男の歓楽街になった。

『江戸の男の歓楽街』は、次回10/28(水)更新予定です。お楽しみに!!

○今に残る柳橋の痕跡

神田川
浅草橋からの眺め。年季の入った屋形舟が浮かぶ。「吉原通い」もここから出発したのであろうか(編集部撮影)
JR浅草橋駅付近
駅の周辺が柳橋エリアとなる。飲み屋や夜の店も多く、かつての歓楽街の面影を残す(編集部撮影)