学校を卒業後、車やスマホを持つ若者もいる

さて、洗礼の決断は簡単なことではありません。学校を卒業してすぐに決断する人もいれば、それぞれの理由で30代くらいまで決断しない人もいます。

洗礼を受けるまで正式なメンバーではないため、ルールを破っても、とがめられることはありません。アーミッシュグループによっては、車やスマホを持つようなライフスタイルが許容されることもあるのです。

実際、洗礼を受ける前に免許を取って、自分の車を持つ若者は少なくありません。アーミッシュの若者が、学校を卒業して洗礼を受けるまでの期間を「ラムシュプリンガ」と言います。

ラムシュプリンガ期間の過ごし方は人によってまちまち。ドラッグやパーティーに明け暮れるアーミッシュの若者を取り上げる映画やドラマがありますが、これはごく一部の若者をセンセーショナルに描いているだけで、実際は、おとなしくラムシュプリンガを過ごすアーミッシュが大半だと思います。

洗礼を受ける前の若者は、同じ世代の若者が集まるグループに属するそうです。このグループは、バレーボールを楽しんだり歌の会を開いたりして男女で交流します。日本で言うところの大学サークルのようなイメージでしょうか。

日本のサークルと同じように、グループごとに特徴があります。アーミッシュの伝統的な服のまま健全な遊びをするグループもあれば、アメリカ人の若者と同じ服を着てタバコをふかし、お酒を飲むようなグループもあります。

属するグループによって「遊び方」が異なるので、アーミッシュの親たちは自分の子どもが、どんなタイプのグループに属しているかを気にかけるようです。

自らの決断で「アーミッシュ」になる

洗札を受ける前は、普通の若者と同じような生活も許されるわけですが、アーミッシュの親たちは、その姿にいちいち目くじらを立てることはありません。なぜなら、ほとんどの親が同じような経験を経てきているからです。

車に乗って映画を観に行ったり、ラジオを買って夜な夜な聴き、アーミッシュの服を脱ぎ捨てて流行のファッションに身を包んだり……。

「自分も若いときはそうだった」という、おおらかな気持ちで子どもを見守るそうです。驚きなのは、ラムシュプリンガを経たのち、約9割に近い若者が、アーミッシュになることを選ぶことです。つまり、アーミッシュの若者は、文明社会の便利さや楽しさを味わったうえでなお、それらを手放すことを決意するということです。

洗礼を決断する背景にある葛藤の多さは、想像にかたくありません。普通の服を着て車を乗り回し、スマホを常に手にしながら数年間過ごしたあとに、これらを手放すことが果たして自分にできるかどうか……。

私の場合、答えは否です。だからこそ、私は彼らの生き方・選択に対して尊敬の気持ちが堪えません。アーミッシュの人たち、一人一人と出会うたび、話すたびに、確固たる信念のある雰囲気を感じるのは、このような「洗礼の決断」を誰しもが経ているからなのでしょうか。

迷いのない言葉、地に足のついた行動を共通に感じるのは、ただの偶然ではないような気がしています。

▲家庭菜園の人参を引っこ抜いて、井戸で洗って、そのまま食べる