バルト三国の最北にあるエストニア。隣国フィンランドの首都ヘルシンキから、フェリーで気軽に訪問できる国として多くの日本人観光客が訪れている。世界最先端の電子国家としても知られ、数々の行政手続きや選挙の投票がインターネットで完結できることが有名である。

人口わずか130万人の小国エストニアでは、どのような新型コロナウイルス感染拡大防止対策が取られたか、また人々の意識はどのように変化したかなど、現地在住者の目線からレポートしてもらった。

▲エストニア 出典:PIXTA

どこか遠い国での出来事と思っていた・・・

2019年大晦日、例年のように年越し花火を見ながら新年を迎えた。春先に日本への一時帰国を控えていたので、花火を見ながら「やっと今年は日本へ帰られる」と思ったことを今でも鮮明に覚えている。

日本に帰ったらやりたいこと、買いたいものリストを作成し、その時を心から楽しみにしていた矢先、日本のニュースサイトで“新型コロナウイルス”の記事を目にするようになった。間もなく中国の旧正月を迎え、より頻繁に目にするようになった。むしろ、目につくのは新型コロナウイルスの記事がほとんどであった。

その情報はエストニアにも伝わり、ニュースキャスターは「Hiina koroonaviirus(中国のコロナウイルス)」と新型コロナウイルスを説明し、どこか自分たちとは関係ない、遠いアジアの国で蔓延しているウイルスという認識しているように感じた。

やがてヨーロッパ各国で新型コロナウイルスの感染が拡大し始め、2月下旬にはエストニアで初の感染者が確認された。その後は、日を追うごとに1日の感染者が10人、20人と増え続け、人々の心には未知のウイルスに対する恐怖心が芽生え始めていった。

マスクをした方が良いらしい、アルコール消毒が効くらしいと言った噂が流れはじめたが、もともとエストニアにはそのような習慣がなく、店頭や薬局で見つけることすら困難なのだ。

2020年3月12日、エストニア政府により緊急事態宣言が出された。1991年にソビエト連邦から独立して以来、初めてのことである。

これにより外出規制をはじめ、学校や大学の授業は全てオンラインに切り替わり、企業は可能な限り在宅ワークに切り替え、国内全ての映画館・博物館・劇場・サウナ・スポーツジムが閉鎖され、各種イベントの開催も禁止に。

3月17日には事実上、国境が封鎖されて旅行者の入国を制限。国内およびヨーロッパ各国を結ぶ長距離バスや飛行機の運休・減便が相次いだ。筆者が搭乗する予定だった飛行機も運休となり、見通しが立たないことから泣く泣く一時帰国を諦めることしたのです。

国民で共有した“2+2”の合言葉

緊急事態宣言下で設けられたルールの中に、

  • 家族を除く2人以上での外出禁止
  • 公共の場では他者と2m以上の距離を保つ

があり、このルールは“2+2(two plus two)”と表現された。エストニアではエストニア語だけでなく、ロシア語を母国語とする人、英語をメインに生活している移住者が多くいるため、シンプルで分かりやすい“2+2”は、みんなで共有する合言葉となった。

エストニア人は、もともと他者と一定の距離を保つ国民性なため、緊急事態宣言が解除し“2+2”ルールが廃止されたあと「やっと2+2ルールが終わった。これで今まで通り他人との距離を5m保つことができる」というジョークが生まれた。