ジョン・レノンに反抗的な自分を重ねた少年時代
倉本さんがそんなポジティブなメンタルを形成した根っこには「ビートルズ」との出会いがあった。小学生のとき初めてビートルズの音楽を聴き、打ちのめされた倉本さん。彼らについて調べるうち、ジョン・レノンが幼少期に反抗的な性格だったこと。「お前のような人間はダメだ」と言う大人たちに、歯向かい続けたことを知った。
「俺と一緒やん!」。倉本さんはジョン・レノンと自分が重なるようだと思った。「『彼らに世界を変えるすごいことができたんやったら、俺にもできる』って思い込んだんですよ」。己を信じる力が尋常ではなかった。
当然、教師をはじめ、大人のなかには倉本少年のそんな姿勢をよく思わない者もいた。「ルールに従うのが苦手で、自分のオリジナルルールでやろうとしている子どもだった。先生には厄介がられましたね」と倉本さんは笑う。
「道徳」の授業では、倉本少年が先生の期待していた答えをしなかったために、親が学校に呼び出された。「ご両親はどんな子育てをされているんですか? 自由、自由と自由ばかりを口にするけれども」。教師が詰問する。親は頭を下げるのかと思いきや、さすが倉本さんの母親、黙ってはいない。
「何がダメなんですか?」。食ってかかったばかりか、児童会の会長だった倉本少年の役割を、意図的に副会長の生徒に振っているのではないかと、逆に問い詰めた。“おかん”のメンタルも尋常ではなかったのだ。
こうして倉本少年は「ビートルズを超えるっていうような決心を持って」、中学・高校時代を過ごし、大学へと進んだ。音楽で食べていくつもりでいたが、まだ、きっかけはつかめていなかった。
「大学を卒業するときには、もっと明るい未来が開けていればよかったんですけどね。『多少は遅れるかなぁ』とも思いながら。でも、絶対になんとかなるはずやと闇雲に信じていましたね。自分のことを」。就職はせず、バンド活動を続けた。
「周りに面白いヤツがいっぱいいたので、そいつらといろんなことをやりながらね。音楽が得意だと思っていたんで『ビートルズを超える音楽を作ったろう』とマジで思っていましたからね。でも、全然認められないんですよ、世の中に。対バン(=ライブで共演)するバンドからは『すごいですね』『どうやってサウンドを作っているんですか』って言ってもらえるんだけど、だからといって客が増えるわけではない。オーディションにデモテープを送っても、反応はないし。そういったことが続いていましたね」
床下での仕事中にこみ上げてきたもの
アルバイトにも精を出した。スーパーの前にワゴンを出し、型落ちしたジーパンを売る仕事だ。いわゆる「大阪のおばちゃん」たちを巧みにおだてながら、売りまくった。頼まれもしないのに、ファッションショーのような催しを企画し、モデルのオーディションから、進行台本の執筆まで担ったこともあった。焦りはなかったが「このままでいいのか?」という思いも募っていった。
シロアリ駆除のバイトをやったときのことだ。駆除は、住宅の基礎(土台)部分のコンクリートにドリルで穴を開け、体をねじ込むようにして床下に潜り込んで行う。ほふく前進をしながら道具を引きずるようにして、各部屋の床下を巡回し、柱に薬剤を注入していく。床下は狭く、さっきは通れたはずの穴が、帰りは通れなくなっていることもある。
あるとき、床下での作業中、ふとあおむけになって見上げた。狭く、暗い場所で寝そべっている倉本さんの数10cm上を、その家の住人の歩く足音が聞こえた。人びとの生活の真下で、気づかれることなく黙々と働いていた自分が、なぜかみじめになった。
「俺はこんなところにいる人間やないんやー!」
思わず叫んでしまった。住民が「うわっ!」と驚く声が聞こえた。
倉本美津留、22歳。まさに「土壇場」だった。
≫≫≫ 後編へ続く
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