僕と佐々木君だけが最先端の笑いを知ってる気がした

――本を読んで、山内さんの根拠のない自信が成功の秘訣と感じました。普通の人はなかなか自信が持てないものだと思うのですが、なぜ自分を信じられるのでしょうか。

山内 なんなんですかね。挫折をしてたかもしれないんですけど、それに気づかなかったとか。俗に言う鈍感力じゃないですけど、自信を崩すほどのことが本当になくて、自分の思い通り、イメージしていた感じでずっとやってきていたので。

――ご自分が面白いと思ったのは、いつぐらいからだったんですか?

山内 まあ幼稚園のときも思ってたと思うんですけど、明確に笑いとりにいったりしていたのは小学校ぐらい。そのときはまだ「夢はサッカー選手」とか言っていたんですけど、中学ぐらいでお笑い芸人が選択肢に入ってきてという感じですね。

――お笑いにハマったきっかけは?

山内 本にも書いてあるんですけど、佐々木君という友だちが、松本(人志)さんの『一人ごっつ』とか『寸止め海峡』とか『VISUALBUM』とかのビデオを教えてくれたんです。同級生がみんなが知らなかったのに佐々木君は知っていた。それ全部見て、僕と佐々木君だけ最先端の笑いを知っている感じがしていたんです。佐々木君が教えてくれてなかったら、違ってたろうなと思いますね。

――吉本の養成所(NSC)では、下のクラスに振り分けられたそうですね。

山内 NSCのときは全然クラスが上がらないな、というのはちょっとありました。ただ、僕そのとき、Cクラスだったんですけど『R-1グランプリ』に出て1回戦に通ったんです。在学生で1回戦に通ったのが、僕とAクラスにいた加藤誉子(たかこ)の2人だけやったんですよ。NSCでの評価はCやけど外部の、むしろオフィシャル的なR-1の評価で1回戦に通ったのと、あと卒業公演が自信になった。

Cクラスの卒業公演は1分だけやったんですけど、当時『マンスリーよしもと』っていう吉本が発行している雑誌があって、記者の人がNSCの卒業公演について書いていた。そのなかに、僕のネタについてちょっと書いてくれたんですよ。名前が出ていたのは3人しかいなかった。見る人が見たら目にとまっているみたいなのがあったんで、NSCの今の評価がおかしいんちゃうん? っていう感じでいました。

▲挫折はあったかもしれないけど「鈍感」で気づかなかった

――一番上にいた藤崎マーケットさんとかはレベルが違った、と本に書いていました。

山内 卒業公演でも人のネタなんか見ている時間はなかったので、Aクラスのネタ1回も見たことない。結局おもろないやろと思ったまま卒業した。卒業後に、藤崎・天竺鼠・アキナとかと話す機会があったんですけど、ちょっと会話しただけでめちゃくちゃ面白いと思った。

それから、初めてネタを見ました。めっちゃ面白かったんです。Aクラスは面白いんだって、びっくりしましたね。そのあとは同期の間で、誰かが先を行って、それを追いかけていって追い抜いて、次また抜かれた人が頑張って、みたいなのをずっと繰り返してやっているなという感じですね。