アメリカの警察は日本とは違い、全ての自治体の警察が独立した組織となっている。日本に住んでいる我々の感覚からすると、スピード違反のような日常的な取り締まりであっても、組織同士でぶつかりそうな気がしてしまうが、在米作家である冷泉彰彦氏によると、そこはアメリカ人独特の気質でうまく運営しているという。

※本記事は、冷泉彰彦:著『アメリカの警察』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

組織同士は対等であるというアメリカ人の気質

アメリカの警察には、さまざまな組織が入り組んでいる。

たとえば、深刻な犯罪や大規模な事故、災害が発生した場合には、市町村の警察や消防に州警察、さらに場合によっては州兵や州防衛隊、民兵組織などが連携して行動することになる。これに加えて、保安官という「ニッチ」な存在もある。

そうなると「船頭多くして船丘に登る」ということわざのように、往々にして意思決定が遅れたり、組織の動きが混乱する危険がありそうに思える。だが、アメリカではそうした懸念というのはあまり聞かれない。組織がここまで入り組んでいるのに、どうして現場が回っていくのかというと、そこには3つの理由があると考えられる。

1つは役割分担だ。たとえばスピード違反の取り締まりにしても、どの区間は町の所轄、どの区間は州警察の所轄というように取り決めがある。また、その取り決め自体、現実を踏まえた柔軟性を持たせていることが多い。

スピード違反であれば、追尾した車両が州境を越えて逃走したとしても、逃げ切れないことがある。州間で協定を交わしておいて、州警察の車両が隣州に侵入しての取り締まり活動が、可能となっている場合があるからだ。

重大事件の場合、たとえば不審な爆発物が仕掛けられている可能性があって、その危険性が基準に達した場合には州警察の処理班が出てくるとか、もっと深刻だと州兵の処理班が出てくるなどの取り決めがされている。取り決めだけでなく、実際にそのように組織を超えた運用や連携の訓練を行っている州も多い。

▲所轄の取り決めは柔軟に運用される  写真:PIXTA

2つ目は、いい意味で組織が対等だという意識である。大きな事件になって、町の警察では手に負えずに州警察が出てきたとする。町の警察と州警察では、州警察のほうが格上という考え方は、アメリカでもある。では、州警察が来たからといって、町の警察が完全にそちらへ投げて終わりかというと、そういうことはない。

反対に、州警察が威張って、町の警察官をアゴで使うということでもない。土地勘のない大組織の長が、的外れな指揮をして現場が冷笑するといった事態もあまり聞かない。組織としては州警察が上だが、あくまで現場では対等でお互いに胸を張って仕事をする、というカルチャーがあるのだ。