州知事や市長が強いリーダーシップを発揮

日本の場合は、たとえば規模の大きな事件になると、所轄署から県警本部が指揮権を取り上げて捜査本部を設置する。事件が深刻になれば、より上位の部長クラスが捜査指揮を取る、というように縦に組織が拡大していく。

だが、アメリカの場合は状況が深刻になると、さまざまな専門チームが集まってくる。その場合、現場は初動からの経緯などの情報提供をしつつ、土地勘があるのでチームへの支援を続ける。州から来たSWATなり科学捜査班などは、必要に応じて活動するといった形で、お互いが対等な形で組織を横に広げていくことになる。そして、アメリカ人の気質のためもあって、そうした寄せ集めの横広がり組織が、ちゃんと機能するのである。

大きな事件が起きて、事件への対応や捜査の状況などに社会的な関心が高まっている場合には記者会見が行われる。その場合、多くの組織が参加して複合チームが動き出すと、それぞれの代表が集まって合同会見を行う場合が多い。

ある程度の経験を積んだ警察関係者になると、テレビ向けの会見ということでは場離れしていることもあり、町の警察にしても、州警察にしても、順番にそれぞれの持ち場からの情報公開をスムーズに行える。

▲ロス市警の建物 写真:PIXTA

3点目は、州知事など首長のリーダーシップが強いことだ。これも日本とはまったく異なる。日本の警察組織はひとつであって、都道府県警察も中央政府の国家公安委員会の統制下にある。だがアメリカの場合は、州警察も州兵も州知事の権限の下にあり、州知事はその最高指揮官と位置づけられている。市町村であれば、その首長の権限はやはり強く、警察組織はこれに従うことになっている。

したがって、危機管理の局面になると、首長がリーダーシップを発揮することになる。そこでマネジメントを成功させるかどうかというのは、住民の強い関心事項であるので、首長が選挙に勝ち続けたいのであれば、とにかく必死にやるしかないのである。

そのために悪く言えば、政治的パフォーマンスに陥るというケースもある。たとえば、人種を巡る警察不祥事問題では、ニューヨークのビル・デブラシオ市長は自己流の解決案に固執することで、ニューヨーク市警と対立を続けたことで混乱が続いた。オレゴン州のポートランドでは、デモ隊と右派の暴力集団の対立が起きたが、ここでは知事と市長が結束して警察と連携してデモ隊の保護に注力している。

いずれにしても、州と地方など警察機構がバラバラに独立しており、一方で民兵があったり州兵がいたり、あるいは保安官があったりと、地方レベルだけでもアメリカの治安維持体制というのは複雑に入り組んでいる。けれども、その連携ということでは、首長のリーダーシップの下で自発的に動けているのは事実だ。

ゆえに州のなかで、各市町村の警察を州警察の傘下に入れるとか、州兵や民兵の組織を改組して州警察に一本化すべきだという議論は少ない。とにかく、個人が、そして個々の組織が独立していて、一旦緩急あるときは自主的に集まってチームを組んで対応する、というカルチャーが根付いており、それが地方自治の精神としてアメリカ合衆国という国の骨格になっているのだ。