世界が対中冷戦という構図に飲み込まれている現在、日本が担うべき国際的な役割は、ますます重要度が増している。日本に蔓延している平和ボケによる弊害と、私たちが直視しなければならない本当の真実を、歯に衣着せぬケント・ギルバート氏が解説。軍隊や軍人に対する日米の意識の違いを指摘し、平和運動家の思考レベルを嘆く。

※本記事は、ケント・ギルバート:著『強い日本が平和をもたらす 日米同盟の真実』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

改正する必要がない憲法第9条

学校で、日本国憲法の三大原則というのを習ったことと思います。「基本的人権の尊重」「国民主権」「平和主義」です。ここにすでに平和主義が登場しています。何を言っているのでしょうか。意味がわかりません。

永遠に戦争しない、ということで平和主義を原則としているというのであれば、わかります。しかし、それでは、憲法の条文との整合性が取れません。

「平和主義」を三大原則のひとつとして数えているのは、日本国憲法がわかっていない証拠だとしか言いようがないのです。​

▲9条改正に奔走した安倍前首相 出典:ウィキメディア・コモンズ

なぜ平和主義、つまり不戦主義が日本国憲法の原則とはならないのかを説明しましょう。

憲法第9条の第一項には「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と書いてあります。

「国権の発動たる戦争」という言葉に注目してください。これはきわめて特別な言い回しです。

「国権の発動たる戦争」という表現が、どこからきたものかご存知でしょうか。これは、第一次世界大戦後の1920年代に、イギリスやフランスをはじめとする当時の連合国が、不戦条約についての議論を進めていたときに使われた言葉です。

では「国権の発動たる戦争」は何を指しているのでしょうか。「国権の発動たる戦争」とは、実は「侵略戦争」のみを指しています。

つまり、日本国憲法第9条で禁止されているのは「侵略戦争」だけです。すべての戦争を禁止しているわけではありません。戦争というものは大きく分けて、侵略戦争の他に、自衛戦争と制裁戦争があります。「国権の発動たる戦争を放棄する」と言った場合には、自衛戦争と制裁戦争は放棄していないのです。

第9条は第二項で「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」としています。つまり、侵略戦争のためには持ってはいけないけれども、自衛戦争や制裁戦争のためには「陸海空軍その他の戦力」および「国の交戦権」は持ってもいいということになっているわけです。

したがって、別に第9条は改正しなくていいのです。

このことをわかっていない人が多過ぎます。日本の人たちは、もっとちゃんと自国の憲法を読んだほうがいいでしょう。

日本国憲法をわかっていないインテリ

自衛権というものは、いくら否定したとしても、また、放棄したとしても国家にはあるものなのです。自衛権は国際法で認知されています。

なかには自衛権すら日本国憲法は放棄しているという人もいます。しかし、先に見たように、日本国憲法第9条でさえ、それを否定してはいません。

これは、きわめて大事なポイントです。これをみてもどれだけ自国の憲法をちゃんと読んでいないか、ということがわかります。

日本は、今の憲法第9条のまま、自分の国を守るためにはあらゆる手段を使うことができます。それに米軍は協力する、というのが日米安保条約の基本です。

▲日米安保条約60周年記念レセプションの様子 出典:外務省ホームページ

不戦主義たる平和主義をうたうのは知的馬鹿のすることであって、なおかつ知的怠慢です。インテリなのかもしれませんが、現実がまったくわかっていません。私と私の周囲の仲間は、こういう人たちを「高学歴馬鹿」と呼んでいます。こういった輩は東京大学といったあたりの、いわゆる一流大学からよく出てくるようです。

安保条約とは言うけれども「平和主義=不戦主義」と考えている馬鹿が相手ではやっていられません。そういう本音がアメリカにはある、ということは知っておいたほうがよいでしょう。