野生動物が健康で楽しく暮らせるために
僕は急いでサトシとアサコを離し、園内の病院に連れて行きました。アサコの傷は深く、下顎は真っ二つに割れていました。すぐに緊急手術を行います。
なんとか怪我は治したのですが、襲われた心の傷は深く、よりいっそうチンパンジーを怖がるように……。その後1年ほどかけて、チンパンジーの群れと同じ空間にいることはできるようになりましたが、いつも独りぼっちで常に何かに怯えている様子でした。
僕は、小さいアサコをただ可愛いがり、健康に育てることだけに気をつけて世話をしていました。しかし、それは僕だけが満足する子育てだったのです。もっと早く、チンパンジーの群れに入れるべきでした。群れに入れるときにも、お見合いの時間をもっとゆっくりとるべきだった……と今では思います。
動物園で野生動物を飼うことの難しさ、健康で楽しく暮らせる工夫の難しさを痛感しました。
アサコが7歳になるとき、担当替えにより毎日のお世話は他の飼育員さんが担当してくれることになり、その後、僕は他の動物園へ異動となりました。僕が異動して、しばらく経ったある日、アサコが中国へお嫁に行くことが決まったとの連絡が入りました。
アサコが旅立つ日、僕は見送りに行こうと動物園を訪ねました。頑丈な箱に入れられたアサコ。小さな窓からのぞき込むと、麻の袋を抱え隅っこで震えていました。麻袋は、赤ちゃんのころから常に抱っこをして寝ていた大切な物です。麻袋はアサコにとって、お母さんのぬくもりと一緒だったのでしょう。
アサコに声をかけると、麻袋を抱えたまま僕に近寄ってきて、口をとがらせて“フ~フ~”と鳴きました。その声が「抱っこしてよ、ここから出してよ」というように聞こえたのですが、僕には何もできません……。
小さな窓から出してきたアサコの人差し指を、僕はしっかりと握り返し「何もしてあげれなくて、ごめんね」と心の中で謝りながら、旅立つアサコを見送りました。
アサコとお別れしてからだいぶ経ちますが「アサコは中国で元気に暮らせたかな」と、今でもときどき思い出します。僕は獣医師として大切なことをアニー、そしてアサコから学びました。
今回はこのあたりで。また次回お会いしましょう。
「スーパー獣医 Dr.北澤のどうぶつ事件簿」は、次回3月23日(火)更新予定です。お楽しみに!!
十三次どうぶつ病院
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