日台関係からわかる中国への忖度
2000年には、すでに公職を退き“一私人”となっていた李登輝さんを「三田祭」という学園祭に招きたいと慶應義塾大学の学生が動き、李登輝さんも喜んでいたにも関わらず、なんと時の河野外相が「李氏は影響力があり、必ずしも私人とは言えない」とけん制。結局、訪日は実現しませんでした。
2001年には、李登輝さんが持病である心臓病の治療のため、という人道的な理由で来日を希望した当初、日本政府はビザ発給を認めませんでした。理由は、日本の外務省が中国から断固反対の圧力に押されていたからでした。
さすがにこれには堪忍袋の緒が切れた日本人からも疑問の声が上がり、持病の治療という人道的理由であるにもかかわらず、李登輝さんの来日を認めない政府や外務省に対する非難の声は日本国内でも高まりました。「ぜひ、学園祭に李登輝さんを呼びたいのですが」と私のところに相談に来る若者たちも出てきたほどです。
その当時、私は行く先々で「人道的な理由であるはずなのに、李登輝さんになぜビザが出ないのか」という質問とも訴えとも取れる言葉を投げかけられました。私は、こうした質問が会場から飛び出したあるシンポジウムの席で、こう答えました。
「李登輝氏は、日本を愛し、日本を訪ねたいと以前から熱望しています。彼が引退した現在、もし日本が彼の来日を拒否するというなら、日本は三流国です。
日本の国柄が問われています。それは一外務省だけの問題ではありません。日本人の皆さん一人ひとりの責任です。自分の国が一流の国でありたいのか、それとも他国の覇権主義の思いのままにされるような三流国でありたいのか、どうぞ肝に銘じて、今日の私の言葉を考えてください」
当時は、日本人の一部がようやく自虐的な思考に気づきつつあり「日本はこのままで、本当に独立国として国際社会の荒波を渡っていけるのか」という疑問を持ち始めていたところでした。日台関係とは、中国という国に対する土下座外交や忖度が果たして国益になるのか、日本は真の独立国家として自分の意思で物事の軽重を判断できるのか、それらを測るバロメーターにもなっていたのです。
そして外務省や一部政治家の「中国重視」の価値観が、いかに日台の友情や人道を重んじる多くの国民から後れを取っていたかが露呈した一幕でもありました。