生きる意味と生きる糧をもらった『青春高校』

――『青春高校』で過ごした3年間で、印象に残っている出来事はありますか?

女鹿 今でも鮮明に覚えているのは、一番最初の文化祭です。幕が開いた瞬間、会場の通路まであふれるくらいお客さんでいっぱいの光景が目に飛び込んできて「わぁ……」って鳥肌が立つくらい感動しました。その後も、たくさんライブや公演をやらせてもらったけど、やっぱり最初の文化祭にかなうものはないなって、思ってしまうほど桁違いにすごかったです。あの日の景色は本当にキラキラしていて、何もかもが違って見えました。

――『青春高校3年C組』に出会って、女鹿さんの人生は変わりましたか?

女鹿 変わりました。中学1年のときに合格したバイトAKBの活動が終了して、その後「どんな形であれデビューできれば」という気持ちで、いろんなオーディションを片っぱしから受けました。何度も何度も挑戦したけど、不合格が続いて、夢をあきらめて就職することも考えていたんです。

――会社勤めすることも考えていたんですね。

女鹿 はい。お父さんが電車好きということもあって、鉄道関係の仕事に就くことも考えていました。将来は新幹線の車内販売とかしているのかな?って思っていたんですけど、そんななかで、唯一オーディションに合格できたのが『青春高校』だったんです。

――『青春高校』卒業後は、どのような人生を歩みたい?

女鹿 演技のお仕事に挑戦したいので、これからお芝居をがんばりたいと思っています。あと、歌もすごく好きなので、個人的にボイトレに通っているんですけど、上白石萌音さんのような歌も歌える女優さんになれたらいいなと思っています。

――将来はどんな大人になりたい?

女鹿 『青春高校』で過ごした3年間は、つらいことも傷ついたこともあったし、途中で辞めようと思ったこともありました。でも、それ以上に楽しさを感じることができたし、本当に人生で一番居心地がいいと感じるくらい、自分にとって大好きな場所でした。

中学時代にイジメにあって、死にたくなるくらい絶望の日々を過ごしていた私が『青春高校』と出会って、生徒のみんなやファンの方々から、生きる意味と生きる糧をもらいました。だから、こんどは私が生きる活力や、生きる希望を与えられるような人になりたいな、と思っています。

▲歌も歌える女優さんになりたいです!

≫≫≫ 次回は久保侑大さんのインタビューを5/2(日)に公開予定です。お楽しみに!

プロフィール
 
女鹿 椰子(めが やこ)
2001年11月5日生まれ。千葉県出身。すっぴんでも映える“原石系美少女”として『青春高校3年C組』の生徒の仲間入りをしたが、共演者にイジられたり、体当たりでコントに挑戦するなど、新たな魅力が開花。本人のサービス精神旺盛な性格も相まって、番組に欠かせないバラエティキャラとして活躍した。ニックネームは「めがちゃん」。