ロシア封じ込めに日本を利用したイギリス
それを踏まえて義和団事件に話を戻すと、イギリスは事件後も満洲を不法占拠したまま撤退しようとしないロシアを牽制する必要がありました。一方で、イギリス単独では中国における利権を確保することに限界があることも認識しています。
当時イギリスは、シンガポールから香港を拠点にアジア支配を進めていたんですが、さすがに朝鮮半島や満洲にまで対ロシア戦線を拡大できません。だから、同じくアジアでロシアに対抗する日本と手を組む決断を下したわけです。言葉を変えると、ロシア封じ込めに日本を利用したともいえます。
マクドナルド公使は帰国後、ロバート・ガスコイン=セシル首相(第3代ソールズベリー侯爵/1830〜1903年)を説得し、イギリスのアジア政策と「光輝ある孤立」政策を棄却する転換を促しました。それを後押しする根拠として、義和団事件での柴五郎ら日本軍の活躍があったことは間違いありません。イギリスにとって柴五郎は、信頼すべき日本人の先駆者で、日英同盟締結の「陰の立役者」となったのです。
この日英同盟をもとに、日本はロシアとの戦争に突入していくことになりますが、イギリスからすると、日露戦争で日本が勝利すれば、自らの手を汚さずにロシアを封じ込められます。また、たとえ日本が負けても、自国には傷がつかないわけです。
近代国家として成立したばかりの東洋の新興国・日本と軍事同盟を結び、先端軍事技術を惜しみなく提供した背景には、イギリス流のしたたかな現実主義(リアリズム)があったということですね。
馬渕 そうやって国益をもとに戦略を立てていくのは、国家として当然あるべき姿です。今の日本がちょっとおかしいだけでね。
岡部 そうですね。だから、日本はアジアにおけるイギリスの帝国主義の“先兵役”にされたとも解釈できるわけです。「日露戦争は、イギリス対ロシアの代理戦争だった」と解釈する見方もあるくらいですから。
一方で、日本には、弱肉強食の帝国主義の時代を生き抜くために、大国と軍事同盟を結び、安全を確保しなければならないという事情がありました。周辺諸国への侵略を繰り返す膨張主義のロシアに備えるため、日本政府は、明治維新以来、友好関係にあったイギリスを同盟相手に選ばざるを得なかったわけです。