空を泳ぐ魚-環境と結ばれ、建築は覚醒する-

「バタタッバタタタタ」

突然、何かを打ち鳴らすような音が周囲を包みました。そう、山の天気は変わりやすいのです。先ほどまでは雲を通った柔らかな光に満ちていた室内が、突然の豪雨で暗く沈み込みました。

周囲の変化で、ここまで内部空間が劇的に変わるものかと、その演出に驚きました。あとで断面図を見て気付いたのですが、屋根も壁も非常に薄く作られており、打ち付ける雨音が心地よく室内に響きます。

屋根の音を聞きながら天井を見上げると、またも美しい梁(はり)が目に入りました。葉っぱを模した形とも言われますが、ここでふと構造体が別のものに見えてきました。

▲聖ベネディクト教会 平面図 イラスト:芦藻彬

魚を開いたときの骨、に見えませんか?

我々を包む、この美しい華奢な柱はさながら肋骨。まるで生き物の体内にいるかのようです。

平面図を書き起こしてみると、なんと! 斜めの入口をヒレに見立てれば、この建築は山の上を泳ぐ“1匹の魚”でした。

▲鱗のような外壁

山の上を泳ぐ魚の体内で、海の音を聞く。美しく調整された彫刻作品のように見えていた建築が、急に生命が宿ったかのように生き生きとし、とても愛おしく思えてくるのです。

同時に、山の上にこのような礼拝堂を建てた、ピーター・ズントーの意図が感じられたような気がしました。この小さな建築は、周りの環境を映す鏡のようで、ちっぽけな人間が雄大な自然と対話するための仕掛けに満ちています。中にいる人にとっては、外環境の知覚を助ける皮膚のようなものかもしれません。日の光が外の緑色に反射し、緑銀色にきらめく神秘的な室内で、そんなことを感じました。

▲聖ベネディクト教会 イラスト:芦藻彬

宣言してしまったので、ちょっとオマケを。

先程見つけた秘境レストランに寄らない手はないでしょう。聖ベネディクト教会を見学したあと、満を持して徒歩5分に位置する “Restaurant Ustria Miraval” のドアを開きました。

▲レストランからの眺め

これがレストランのテラスから一望できる景色だなんて……!

正直、その場に座っていても、どこか現実味がないくらいでした。アルプスの雄大な自然とスイスの家庭料理!!

苦労して登山したかいもあって、最高に素敵な食事を頂くことができました。

▲Restaurant Ustria Miravalでの素敵な時間

ピーター・ズントー設計の聖ベネディクト教会。小さな建築と侮るなかれ、これだけを目的に1日かける価値のある建築です。建築体験は1時間の登山から、山という自然との対話まで含め、私たちに至福の時間を与えてくれます。きっと一生忘れられない1日になるでしょう。

▲お店の記念ノートへの描き込み イラスト:芦藻彬

―――オマケその2―――

ピーター・ズントーの著作に、礼拝堂の不思議な形についての言及があったので紹介します。

I wanted to find a soft, maternal form for my vessel. Even as a young boy I had had my problems with the authoritarian, indoctrinating church; so a predominating, geometrical form such as a square, a circle, or a rectangle was out of the question for me. Our engineer Jürg Conzett took my original freehand sketch and defined it geometrically as half of a lemniscate.

….

But Sogn Benedetg, unlike the white Baroque chapels of the region, is made of wood. Its structure ages beautifully with the weather; it has become dark and darker on the south side,and silvery on the north.

Perhaps the chapel is a little wooden boat after all, built for an uncertain journey by local people born into the heritage of building with wood.(注1)

私は自分の器(建築)に、柔らかく母性のある形を求めていました。幼い頃から、権威主義的で思想を押し付けるような教会が苦手でした。正方形・円・長方形などの幾何学的な形は、私の求める形ではなかったのです。私たちの構造エンジニアであるユルグ・コンゼットは、私のフリーハンドのスケッチを手に取り、そこから「半分のレムニスケート(注2)」という幾何学を見出しました。

(中略)

しかし、この地域の白いバロック様式の礼拝堂とは異なり、聖ベネディクト教会は木でできています。その構造は風雨によって美しく年を重ね、南側はどんどん暗くなり、北側は銀色になっていきます。おそらくこの礼拝堂は、木の建築の伝統を受け継いだ地元の人々の旅路を支える、小さな木の船なのです。(筆者訳)

注1:Thomas Durish『Peter Zumthor 1985-2013: Building and Projects』
2014年5月15日発行/Scheidegger & Spiess; Slp edition発行

注2:レムニスケート(英: lemniscate)は極座標の方程式
r^2=2a^2cos2θ で表される曲線であり、連珠形(れんじゅけい)とも呼ばれる。ベルヌーイ兄弟によって発見された。[Wikipediaより]

【建築コラム用語解説】

※1ピーター・ズントー(ペーター・ツムトア)
スイスを代表する建築家の一人。1943年、バーゼルの家具職人の家に生まれる。幼い頃から木工仕事に親しみ、バーゼルでデザイン・室内建築を、ニューヨークでインダストリアル・デザインを学んだ後、スイスの歴史的建造物の修復の仕事にも携わっている。代表作に、スイス山中の温泉施設である「テルメ・ヴァルス(1996)」、本記事で紹介した「聖ベネディクト教会(1989)」、ドイツの「ブラザー・クラウス野外礼拝堂(2007)」などがある。2009年には建築界のノーベル賞と謳われるプリツカー賞を受賞した。

素材選びの巧みさに定評があり、一朝一夕の検討では辿り着けない洗練された美しい造形が特徴。彼はインタビューの中でこう述べている。

「建物を最後のねじの一本まで考え出すのが楽しい。小規模な建築に限らず、大きなものでもいい」(ピーター・ズントー)

しかし、彼の建築には決して主張しすぎない奥ゆかしさも携わっている。それこそが彼の建築に、唯一無二の美しさをもたらしているのかもしれない。

「作者がたえず、自分がいかにすごいかを見せびらかしているように感じられる映画や本が時々ある。それは私のやり方ではない。私は背景に溶け込み、時が経つにつれて愛されるようになる建物を建てたい」(ピーター・ズントー)


※2ファサード
主に建築物の正面のデザインを指す言葉。フランス語のfaçadeが語源。建物の顔であり、その建築物の性格や格式を表す。装飾が施されるなど外観上大きなインパクトがある場合は、側面や背面もファサードと称されることがある。

参考文献:swissinfo.ch「この仕事に失敗はつきものだということを学ばなければならなかった」[https://www.swissinfo.ch/jpn]