ニコニコ動画で一躍有名になるもメンタル崩壊
彼自身もメンタルが強いわけではない。世に出るきっかけになったのが、18歳のときに始めたニコニコ生放送。『ロシア人が放送中にはじめて圧力鍋を使って大騒ぎ!?』が大ヒットして人気者となるが、その後しばらく、表舞台からは遠ざかっていた。
「心が病んでしまったんです。これは人間の防衛本能だと思うんだけど、一度にいろんな言葉を見たとき、ネガティブなものが先に飛び込んでくるんです。ニコニコ動画って、画面上にコメントが流れるんですが、ほとんどが応援のコメントでも、“死ね”みたいなのがめっちゃ目に入るんです。
それを続けざまに見てしまったら、90%が良いコメントでも全部がアンチに見えてしまう。数年後に見直してみたら、ほとんどがポジティブな意見で、“たったこの2つだけのために?”と気づいたんですが、その時はなんのためにやっているのか、わからなくなっていました。
ポジティブに考えることが大事だとわかっているんですが、今だってすぐ病みそうになるので、マネージャーからはエゴサーチをし過ぎないように禁じられています。小原ブラスだけでなく、小原プラスも、小原ブレスも検索します。この前は小倉ブラスというのも見つけました(笑)」
そのあとは一般的な会社に事務職で就職。だが、いくら潜伏しようと隠しきれない才能。結局、探し出されてスカウトされたことで再びタレント業を始めることになる。ただし、すんなりコメンテーターへの道が拓けたわけではない。
「テレビに出るためにマネージャーに連れられて、プロフィールを持って、テレビ局を回るんです。渡した資料を目の前で捨てられたこともありました。バラエティ番組の世界では“どんなキャラクターなのか”というのをすごく求められる。『“関西弁を喋るロシア人”だけだと正直、薄過ぎる』と言われて、どうしようもなくあらゆるキャラ付けを考えました
まずは、“日本の変なこと”や“あるある”を喋れる人になろうとリスト化しました。要は『WHY JAPANESE PEOPLE!?』のブラス・バージョンみたいなものをやってみようと。でも僕は、幼いころから日本で育ってきたので、全く日本に関しては“WHY?”とは思ってないわけです。むしろ、外国人に対して“??”と思うことの方が多いんです。
自分の見た目を利用して、外国人の言葉を借りて発信する点ではいいのかもしれないけど、やっぱりそこにパッションがない。人の言葉を借りて話しているような、熱量のこもってなさが相手にも伝わって、いまいちウケない。『もっとオネエっぽくしたら』と言われて、無理して作ってみてもなんか違う。一番、ひどかったのは、マネージャーが聴診器を買ってきて『聴診器で何でも聞くことが好きな不思議ちゃんをやろう』と言い出して、あれはもう地獄でした(笑)」