アメリカ軍の撤退によりアフガニスタンではタリバンが政権を奪還することとなった。タリバン政権は2001年に一度崩壊しているが、現在まで、どのように勢力を維持していたのか。また、そもそもタリバンとはどのような存在なのか。国際政治学者の高橋和夫氏がアフガニスタンの近代史をもとに解説する。

90年代初頭までの共産政権時代とソ連

1990年代にアフガニスタンを支配していたタリバン政権は、2001年にアメリカ軍の攻撃を受けて崩壊した。ところが、20年後の2021年8月に突如としてよみがえり権力を奪取した。いかにしてタリバンは生き返り、権力を再び奪ったのだろうか。

まず指摘したいのは、この問いは前提を間違えている。タリバンは生き返ったのではない。と言うのは、タリバンは決して死んでいなかったからだ。

それでは2001年の政権崩壊後、タリバンはどこに隠れていたのだろうか。そして、そもそもタリバンとは何者なのだろうか。

アフガニスタンの人々は、1970年代から戦い続けてきた。1978年にソ連留学から帰国した青年将校たちがクーデターで権力を握り、共産政権を樹立した。そして社会主義的な手法での近代化を始めた。女性の解放や土地改革など進歩的な政策を実施しようとした。

しかし、これに反対する広範な抵抗運動が起こった。共産政権は危機に直面した。この政権を助けるために1979年にソ連軍が介入した。無神論の国・ソ連からの軍隊に、イスラム教徒の国のアフガニスタンが占領された。アフガニスタンのイスラム教徒を救おうと、世界各地からムジャヘディーン(イスラムの聖戦士)がはせ参じた。平たく言えばボランティアだった。

ムジャヘディーンの兵士達(1987年) 出典:ウィキメディア・コモンズ

聖戦士たちはパキスタンを拠点にアフガニスタンに出撃し、アフガニスタンのムジャヘディーンと共にソ連軍と戦った。この聖戦士たちに武器と訓練を与えたのは、アメリカのCIA(中央情報局)とパキスタン軍のISIとして知られる諜報部だった。冷戦期でソ連と対立していたアメリカは“ゲリラ”、つまりムジャヘディーンを使ってアフガニスタンを「ソ連のベトナム」にした。

10年後の1989年、ソ連軍は結局アフガニスタンから撤退。そしてソ連自体が1991年に崩壊した。またアフガニスタンの共産政権も、翌1992年に崩壊した。

イスラム神学校の学生が決起したのがタリバン

今度は勝利を得た各勢力の間で内戦が始まり、アフガニスタンは安定しなかった。この状況を見たアフガニスタン南部のイスラム神学校に学ぶ学生たちが、1994年に決起した。現地の言葉で神学生はターレブと呼ばれる。その複数形がターレバーン。日本のメディアが「タリバン」として言及する人たちである。

参考までに付言すると、アフガニスタンはパシュトゥーン人・タジク人・ハザラ人・ウズベク人などからなる多民族国家である。主として南部に生活するパシュトゥーン人が最大の民族である。つまりタリバンは、パシュトゥーン人を主体とする組織である。

タリバンは勇敢に戦って治安を回復し、多くの国民の支持を得て1996年に首都カブールに入った。タリバンを支援したのが、先ほど紹介したISIだった。パキスタンは、アフガニスタンに自らの影響力の及ぶ政権を確立した。

▲アフガニスタンとパキスタン 出典:PIXTA