「日本シリーズに負けたのは、お前の責任だ」の真意

2011年、落合政権最後の日本シリーズは、惜しくも3勝4敗で頂点を逃しました。シリーズ前から落合監督が勇退することは決まっていたので、なんとか最後の花道を……という思いはチーム全体にあふれていました。ただ、そう簡単に事が運ばないのも、厳しいプロ野球の世界なんです。

その日本シリーズ後のことです。名古屋市内の飲食店で、偶然にも落合監督と遭遇しました。勇退するにあたって、その店でたまたまメディアの方々が主催した食事会が行われていたのです。僕はご挨拶だけして、その場をあとにしようとしたその瞬間でした。落合監督から「お前も座れ」と促され、その席に腰を下ろした僕は、落合監督から衝撃の言葉を言われたのです。

「日本シリーズに負けたのは、お前の責任だ」

僕の頭の中には「?」マークが浮かびました。なにせ先発した第2戦は、7回途中1失点で勝利に貢献。中5日で臨んだ第6戦は、8回途中まで無失点でシリーズ初勝利を挙げていたからです。投球に関していえば胸を張れる内容。ただ、落合監督の指摘は投球内容のことではなかったのです。

実は、この日本シリーズが開幕されるまえ、森ヘッドコーチから「初戦にいけるか?」とCSから中5日の登板を打診されました。

僕は、さすがに中3日で8回を投げたこともあり、このときばかりは「厳しいです」と答えたのです。中6日で第2戦に回った背景には、こんな経緯があったのですが、落合監督は、こう言葉を紡ぎました。

「初戦に投げて(4戦目と7戦目の)3回投げてりゃな……。お前がいけないって言ったんだから、日本シリーズで負けたのは、お前の責任だ」

酒席での言葉だけに本気かどうかはわかりません。皮肉を込めた表現といえるかもしれませんが、僕は決して不快な思いはありませんでした。それだけ信頼してくれていたのか……むしろ、最後の最後に、またも落合監督の愛情を感じた瞬間でした。

2020年シーズンをもって引退を決意した僕が、最初に電話で報告をしたのは落合監督でした。会社員でいえば最初の上司。しかも、生き馬の目を抜くプロ野球の世界で、僕がなんとか生き抜き、勝つ喜びを与えてもらった恩人ともいうべき存在です。引退を報告する僕に対して落合監督の返答はこうでした。

「早いよ……」

本当に有り難い言葉でした。落合監督が「自分で決めたのか?」と続け、僕が「はい」と答えると「じゃあ仕方がないな」という声が電話口から聞こえてきました。

本当にこれだけの短いやり取りでした。ドラフト1位で取ってもらった恩は感じていましたし、僕を主戦として使っていただいた。落合監督の下で一番いい数字を残せたし、プロ野球選手としていい思いもさせていただきました。

落合監督、そして次に電話した森ヘッドコーチにワンツーで連絡を入れるのは自然なことだと考えていました。

実際、首脳陣に対して尊敬の念は抱いていましたが、時には文句を言うこともありました。ただ時間が経つと、当時は理解できなかったアドバイスの重みや、その意味がじわじわとわかってくるのです。

これは今後、僕が同じ指導者の立場に立ったときに役に立つこととして、心にしまっています。

名選手たち、名コーチたち、そして名監督。中日ドラゴンズが黄金時代を築けた理由は、まさにここにあったのです。

▲2020年シーズン限りで引退した吉見氏が、最初に報告したのは落合監督だった 写真:中日新聞社