ロン毛のライバルとバチバチ!
高校時代、躰道に打ち込んだおかげで、岐阜県の飛騨高山にある短大に推薦入学が決まった。
父親は「お前の住む町を一応見ておこう」と、友人たちと旅行がてらに俺の住む寮に来た。帰りに「短大の学費は払うし生活の面倒はみる。だが卒業したら、あとは自分で生きろ」と言って帰っていった。もちろん俺もそのつもりだったし、早く社会に出たかった。
短大の2年間は本当に楽しかった。中学は両親のケンカや親との確執もあって家にいるのが嫌だったし、高校は部活三昧で厳しかったから、初めて自由を手に入れたと思った。
短大の2年間で青春を謳歌した。夜は女の子が集まるクラブでホールのバイト。中古だが紫のシャコタン軽自動車に乗って、夜な夜な走り回りナンパを繰り返した。クラブのオーナーは可愛がってくれ、よくメシに連れて行ってもらった。クラブに女の子が足りなくなると「日雇いのバイト感覚で手伝ってくれない?」と短大の女友達に声をかけた。オーナーは「いつも助けてくれてありがとな」と、そのたびにうまいメシをごちそうしてくれた。
俺主導で短大に躰道部を作ったことも良い思い出だ。高校で3年間、打ち込んだ躰道が好きになっていたし、もっともっと日本で広まってほしいと思ったからだ。自分が躰道を広めることが、お世話になった人たちへの恩返しになってほしい。先生は「教え子で卒業後に躰道部を作ったのは、お前が初めてだ」と褒めてくれた。このときはうれしかった。
短大時代には大切な仲間もできた。短大は商経科と自動車科に分かれていたが、俺は商経科で1番目立っていた。
この時期にロックンロールやロカビリーという音楽にハマった。ツイストというダンスを覚え、仲間たちとバンドを組んだり一緒に朝まで踊ったりするのが楽しかった。
躰道部も作り、後輩なども引き連れていたから「大河軍団」なんて呼ばれていた。
その一方、自動車科でも一際目立っている男がいた。東京出身のそいつは、ロン毛でいつもギラついた目をしていた。いつも仲間を引き連れては、茶色のシャコタンのクラウンワゴンを乗り回して、存在感をバリバリに出していた。
俺は気にしないふりをしつつ、そいつを強く意識してた。あとあと聞いた話だが、相手も俺を意識してたらしい。
小さな短大だったが2つの派閥があって、でも中学生じゃあるまいし、ケンカするわけでもない。俺のほうがスゲーとお互い思っているのはなんとなく感じていたが、顔を合わせれば「よう!」くらいの会話はした。微妙な関係のまま卒業を迎えたが、のちに偶然再会し、気がつけば俺のことをメチャクチャ応援してくれるようになってくれる。こいつのことはあとでゆっくり話す。
(構成:キンマサタカ)