若衆は水のように無味だが飽きがこない・・・

エレキテルと言えば平賀源内ですが、彼は「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」と呼んでもいいくらいの天才でした。そんな源内も、ご多分に漏れずの男色家で、『男色細見』という陰間茶屋のガイドブックまで書き遺しています。

▲平賀源内の肖像(中丸精十郎筆) 出典:ウィキメディア・コモンズ

そんな源内が、1763年に歌舞伎役者で女形の荻野八重桐の溺死事件を基に書いた男色小説が、風来山人名義で出された『根南志倶佐(ねなしぐさ)』です。その後編の『根無草』のなかに、閻魔大王と弘法大師の男色談義があります。そこに出てくる弘法大師の男色評です。

傾城は甘きこと蜜のごとく、串童は淡きこと水のごとし。甘きものは味尽き淡きは無味の味を生ず……女は男娼の美に及ばず
[中村幸彦校注『日本古典文學大系 風來山人集』岩波書店/1961年]

「吉原の遊女は蜜のように甘いが飽きやすく、若衆は水のように無味だが飽きが来ない、女は男娼の美には及ばない」と言っているのですが、これは弘法大師の言を借りての、源内自身の率直な男色評でしょう。

1719年に来日した朝鮮通信使の申維翰(しんいかん)は、日本の男色を見てカルチャーショックの余り、同行していた儒学者の雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)に「貴国の俗は奇怪きわまる」と怒りを込めて訴えますが、芳洲は申に対して「学士はまだその楽しみを知らざるのみ」と笑って受け流します。[姜在彦訳注『海游録 朝鮮通信使の日本紀行』平凡社/1974年]

芳洲は「あなたはまだ男色の楽しみを知らないからでしょ?」と言っているのですが、これが当時の日本人の一般的な認識だと思っていいでしょう。

※本記事は、山口志穂:著『オカマの日本史』(ビジネス社:刊)より一部を抜粋編集したものです。